彼の、夏の

夏は、ほんのすぐそこまで来ていて、彼は少し雨の匂いを嗅ぐ。
綺麗な水しぶきをあげながらおばあさんが道路に打ち水をしているのを眺めていたら、段差を越えてしまって、がくりと自転車が大きく揺れた。

片耳にだけつけているイヤホンからは、歌なのかノイズなのかわからないような重低音重視のハードロックが流れている。
首筋には汗の玉がいくつも浮かんでいて、シャツの襟に触れた瞬間にシャツの染みへと変わっていく。彼は無論、気づくことはない。

無心になって足を動かしていた彼の頭にぼんやりと、昨日見た赤い月のことが思い出された。
彼の14年の生涯の中で、完璧に初めて、と言っていいような赤さ。

なぜ赤いのか?そもそも月は何色?黄色に見えるけど。実際月面も黄色いのかな?一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては偉大な…なんだっけ?スターリンだっけ。うんうん。あ、ストロング?アームストロング?スターリンってなんだよ。共産党の人だっけ。共産党って、中国だっけ?中国は共産党?中国人いっぱいだよな、日本。薬局とか。今特に多いよな。なんで?旧正月?とかあるんだよな。あ、でも違うか。旧正月ってもっと2月とか1月の終わりとかだよな。旧正月には月餅食べるんだよな。あれ?お月見の季節に食べるんだっけ。違うっけ。月、月。あんなところに人類はいったのか?地球からどれくらい遠いんだろう。喉乾いたな。 宇宙飛行士?って?歯を抜いたことがあったらなれないんだっけ?あーでも月の重力は1/6?だっけ?いいな、飛んでみたいな。うさぎ…月のうさぎってなんだっけ。影だっけ。あ、クレーターか。

彼の思考は、月を中心に回る。

あ?あれ月か

自転車をとめ、彼は目を凝らす。
幽霊のような、白い月をみつめる。

月、月、今日は赤いんだろうか

彼はまた、自転車をこぎ始める。
のどの渇きを忘れていることを、彼は知らない。

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ぺちこ
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