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お団子でも食べたい気分です

この前、ふっとしたきっかけで、20年前くらいの凄惨な事件のことを知ってしまった。
その事件を知ってからというもの、どうにか忘れたいと思いながらも、被害者加害者のことを想像してしまう。

悲惨な事件なんてそこかしこに転がっている。
見るたびに怖いと思う。

無差別な悪意にとらえられ、痛みや恐怖の中で死んでいくこと。とても怖い。怖くない人なんていないんじゃないか。

できるならば、凄惨な事件をこの世からなくしたい。それは自分や自分の大切な人が悲しまなくていいようにするためだ。

けれど、世界にはきっかけなんてたくさん転がっている。きっかけって、痛みや悲しみを伴って、生命を停止させられてしまうきっかけだ。

明日には誰かの不注意で死ぬことになるかもしれない。
明後日には全身に巣くった悪性腫瘍が見つかるかもしれない。
明々後日には刃を向けられるかもしれない。誰かの安寧・欲動・渇望のための刃。

すべてを恐れて、家から出ないで生きる方法を考えたこともあった。
けれどそんなことできないし、死んだように生きているのも死ぬよりはましだけれど、やっぱり生きているように生きる方がいい。

だから、恐怖心の方をどうにかしようと思った。
恐怖心さえなければ、きっかけに運悪く出会ってしまうまでは、なにも恐怖を感じずに生きていける。

けれど、この世の怖いこと全部を忘れて生きていくことはできないし、現に最近まで全く悩んでいなかったこういうことも、ふと20年前の記事を読んでしまうだけで、こんなにも簡単に頭を支配してしまう。はぁ、もはや感嘆してしまうね。

きっかけをなくすこともできなければ、きっかけに対する恐怖心をなくすこともできない。じゃあどうしたらいいのか。

暫定的な私の考えは、日々をとにかく丁寧に幸せに生きるということだ。
ありきたりで、しかも簡単ではないことで、この文章をこんなところまで読んでくださっているあなたは、落胆されたかもしれない。
けれど、今の所これくらいしか思いつかない。

いつ、この生が終わるかわからない。
どんな風にこの生が終わるかわからない。
終わってしまえばどうってことないのかもしれないけれど
やっぱりまだ終わってない身からすれば、終わることは怖い。

だから不意に終わってしまったとしても未練たらたらとはならないように。
残る思いは、せめてみたらしのタレじゃなくて、きなこくらいサラサラした思いになりますように。
目の前の生活を丁寧に、優しく、自分が幸せになるように、そのためにも誰かを幸せにするように。

そんな風に生きていないとな、と思う午後です。
お団子には、みたらしもきなこもよく合います。美味しいね。

#エッセイ #コラム #雑文 #雑記 #生きる #人生 #死ぬ #お団子

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ぺちこ
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