短歌とか短歌とか22
いつの間にみんなきれいになるのでしょう顔も心も文字も言葉も
例えば、3つ年下の男の子の手書きの文字がとても綺麗だった時。
久し振りに会った一つ上のお姉さんが、とても綺麗で大人びた容姿になっていた時。
乱暴で嫌いだった同級生が紳士じみた振る舞いをするようになっていた時。
先輩、と声をかけてくれた後輩の言葉遣いがあまりに優しくて素敵だった時。
その人間的な成長に感動と素直な尊敬を抱く裏に、どうしても知りたいという気持ちが生まれてしまう。なぜ?どうしてあなたはそんな風に成長できたのか?それは、醜い野次馬根性で、ともすれば嫉妬に裏打ちされた幼稚な感情だ。
小さい時から字は綺麗だったの?習字は習っていた?
雑誌やまとめサイトを読んで、そのお化粧やファッションやまとめ髪を勉強したんですか?どんなことがあって、容姿を磨こうと思ったんですか?
あの乱暴さで、好きな人に振られたりしたの?小学生の時、どれだけ粗野な振る舞いをしていたのか憶えている?
どんなことを考えながら生きていたら、そんな素敵な言葉を選べるの?何かを経験して、意識し始めて今のあなたがあるの?それとも何も考えずに気づいたらそうなっていたの?
絶対に本人には聞けない。
どうしたって、汚い嫉妬の色が浮かんでしまうだろうから。
意地の悪さだって露呈してしまうだろうから。
誰かと比べるんじゃなく、ただ、「自分の憧れの姿」「こうなったらいいなと思う理想像」を追い求めて、自分を磨いていけばいいだけなのはわかっている。
暗い気持ちで誰かを羨んでも、大していい結末は待ち受けていないことは知っている。
けれど、あまりにも衝撃が大きかったり、精神的や肉体的に疲れている時に、他人が優れているのを目の当たりにすると、どうしても考えてしまう。
そういう自分の姿に、さらにダメージを受けてしまう。
自家中毒じみている。
こうして短歌にすることで、少しでもこういった感情を自分の中から濾し出してていきたいと思う反面、こういう感情が一切わかなくなってしまったら、きっと成長が止まってしまうんじゃないかと怯えてもいる。
人間の感情は、とても難しい。
いつまでたっても、振り回され続けている。