#愛犬との思い出② | ペテトテリレーnote
こんにちは、ペテトテメンバーのふみです。
#愛犬との思い出 を語るペテトテリレーnote、2番手をつとめます。
現在、私は犬を飼っていません。
が!!!昨年ペット可のマンションを購入し、犬と暮らしやすい街に引っ越しました。
キャリアブレイクや転職も重なったので、家計や仕事が落ち着き次第、お迎えしたいなと思っています。(すでにケージを置く場所は決めてある😂)
今回は、実家で飼っていたラブラドール・レトリバーのマリンとの思い出をお話したいと思います。
マリンをお迎えしたのは1999年。このnoteを書くために母に確認したのですが「四半世紀も前のことなんだね」としみじみ。
当時私は8歳。近所に犬を飼ってる人が多い街で、マリンを迎える前からよくドッグランとして使われている空き地に遊びに行っていて、ずっと犬を飼いたかった。
家の周りだけなら同世代の友達よりも犬の友達の方が多いくらい。たくさんの飼い主さんたちに可愛がってもらいました。
母と私はずっと犬を飼いたかったけど、父は犬が嫌いではないものの、家の中に毛が落ちることが嫌だったので、マリンは庭で飼っていました。
当時は今よりも気温が低くて、30度を越える日は少なかった気がします。よく考えたら人間もエアコン使わずに生活してましたね…今では信じられない!
実家の庭はぐるりと一周できるかたちだったので、日中は車庫の門を閉めてフリーにして走り回れるようにしていました。
学校から帰ると、柵から顔を出してマリンが出迎えてくれるのが嬉しかったなあ。ご近所さんにも大人気でした!
とはいえ、年々気温が上昇していたので、途中で庭に屋根付きのテラスを作り、シニアになってからは父も納得の上で室内に入れて、エアコンのある部屋で過ごしていました。(そういえば、この時もまだ私の自室にはエアコンがなかった。笑 わんこ優先!)
マリンとの思い出が、実はあんまりないんです。あるんだけど、今の時代に室内飼いしている人と比べたら圧倒的に少ないなと思います。
それがちょっとコンプレックスだったりします。
マリンと触れ合うのは散歩、ごはん、テラスに出て撫でるとき、シャンプーして室内で乾かしているときなど、室内飼いと比べて限られていました。
それに、なにより写真がない。ガラケーで撮った写真はさすがに残っておらず、古いデジカメと大人になってからiPhoneで撮った写真がかろうじてある程度。
もっと毎日ふれあいたかったし、たくさん写真を残したかった。私はマリンにちゃんと愛情を注げていたかな。そんな風に思ってしまう日もあります。
ラブラドールは盲導犬になることも多く賢い犬種ですが、私は「マリンはアホの子」と思っていました。
なんていうか、笑顔に「エヘエヘ」って効果音がついてるんですよね。笑
ヘラヘラしてるというか、キリッとはしていなくて。
でも、そういえば特に問題行動もなかったし、私がマリンのことをよく理解できていなかっただけで、実はすごく賢くて、とにかく明るい子だったのかもしれない。
はーーーーーー。
悲しい話じゃないのに、涙が止まりません。マリンに会いたい。たくさん触って、遊んで、目を合わせて一緒に笑いたい。
マリンが虹の橋を渡ったとき、初めて母が泣くのを見ました。私はそれが衝撃すぎて、あんまり泣けなくて。後悔を吐露することがないまま過ごしてしまっていたんだなあ。
一度愛犬を亡くすと、もう飼わないと決める人もいると思います。私は、これからまた犬をお迎えしようとしています。
それでもマリンのことを思い出すし、きっと後悔も持ったままなのだと思います。それ以上に、優しい気持ちと、持ちうる限りの思い出と、愛しさを忘れないのなと思います。
なんだか湿っぽくなっちゃいました!
現在ペテトテでは、わんことのコミュニケーションを育むトレーニング動画とおやつのサブスク「ASOBOKKA」がクラファン挑戦中です。
クラファンページでも亡くなった愛犬に対する後悔について触れていて、後悔がないと答えた人の多くは「十分に一緒に時間を過ごすことができたため」と答えたそうです。
私とマリンのように、散歩、ごはん、撫でる、だけでは、もしかしたら後悔しやすいのかもしれない。「十分に一緒に時間を過ごすことができた」ってどういうことだろう?
それをペテトテでは、わんこと飼い主さんが目と目を合わせて、心も体も向き合う、共同作業のような時間なのではないかと考えました。
いつかくるその日に後悔しないために。
そしてなにより、愛犬と飼い主さん自身がもっと心が通じ合い、幸せになれるように。そんな想いを込めました。
ぜひ、応援よろしくお願いします!