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御嶽[おんたけ]神社 (埼玉県久喜市南)



久喜駅から埼玉県立久喜図書館までの道のりに

 いつもながら、目的地までの道のりで軽い迷子になっていたところ(笑)。
 マップに御嶽おんたけ神社の名前を発見。せっかくなので立ち寄ってみることに。

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おん……公園?

遊具がたくさん

 今まで行った神社は、川や空堀などに神橋が掛かっていて、手水舎や社殿などがある所ばかりだったので、御嶽神社に入ったらこの光景には驚きました。

 公園!!

 園内(?)には松がたくさん植えてあるので、夏(7/31)の昼でも過ごしやすい感じでした。

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これが 久喜市『南』の御嶽神社!!

石の階段で覆われた山

 大体お社のある山は、急勾配なことが多いので(比較対象:諏訪大社)、このお山はどうだろうと思いましたが、足場が結構しっかりしているのと、結構キレイにされていました。きっと地元の方々に愛されているお社なのでしょう。

 そして一番びっくりしたのは

本殿も拝殿も何もない


 山頂に『御嶽神社』と刻まれた岩が鎮座するのみ。
 諏訪大社も基本的に本殿がないスタイルでしたが、拝殿(片拝殿)はあったので、周囲をちょっと探してしまいました。

頂上の石碑
『嶽』の字の 『山』が下に来るのが かっこいい
石碑の裏側
険しい山肌を思わせる土台の岩


 きちんと足場が確保されているので、山頂をぐるっと回ることが容易でした。

 ちなみに久喜市『南』と南を強調したのは、実は久喜市にはもう一カ所『御嶽神社』があるからなのです。こちらの方は久喜市『本町ほんちょうに鎮座してます。

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御由緒

後半の方に書いてある
新二しんにというのはこの辺りの地区のこと
有名な久喜提燈ちょうちん祭りでの表記は『志ん二』

 ここの御嶽神社は明治27年祭祀。
 個人的には『御祭神は次の"ようです"』と言い切らないあたりがツボ。久喜市民の人柄が出ている。
 初山まいりは、コロナ禍で一時期途絶えたが、2023年(去年)は4年ぶりに実施したそう。久喜テレビの動画で、額にハンコ押されるお子さまたちがかわいい😊
↓ケーブルテレビ久喜「きゅーちゃんねる」

https://m.youtube.com/watch?v=9xp9ZWY_G8U

ちなみに2024年(今年)実施したかどうかは不明です。

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他にも

境内施設として本殿に相当する小山、小山に植樹されている木々、鳥居、御嶽山遊園(公園)、滑り台、ベンチ、ブランコ、ジャングルジム、新二会館、志ん二山車庫(提燈祭りの山車の倉庫)、桜の木、「御嶽神社」と彫られた石碑(山頂に所在)、「御嶽山遊園地拡張記念」と彫られた石碑、「御嶽山建築寄附連名表」と彫られた石碑、「御嶽神社増設敷地寄附連名」と彫られた石碑、「一守護神大権現」と彫られた石碑、「先達」と彫られた石碑、「久喜町 第一 第二 耕地整理記念碑」と彫られた石碑などである。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/御嶽神社_(久喜市南)

 実際見て回ったあとにwiki先生で調べたので、写真に収めてないのが多いのですが、撮ったものを載せていきます。
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①滑り台?

なかなかワイルドな滑り台(?)

 石碑を正面に見た時、右側に坂?滑り台?がありました。車椅子用スロープとかじゃないとは思うんですよね。勾配がキツいし、途中陥没しているので。
 実際に滑ったら

シュー!がくっ!シュー!

って感じですかね?実際に滑ってないのでわかりませんが 笑
 ちなみに、wiki先生に載っている“滑り台“は、写真の右上に見切れているのを指していると思われます。これはちゃんと滑れる滑り台 笑

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②一守護神大権現 の石碑

山の中腹くらいにある石碑
『一守護神大権現』とあるらしい
……どういう意味?

 『御嶽神社』石碑に一番近い石碑。『大権現』とあるので、神仏習合系かなと、は思ってましたが、wiki先生の御嶽みたけ神社で調べてみると、

御嶽信仰は修験道がルーツ

という事がわかりました。
(下記引用文のルビ、太字は私が追加しました)

修験道の神である蔵王権現ざおうごんげんを祀る神社は、明治時代の神仏分離のときに、御嶽みたけ神社、金峰きんぽう神社(金峯きんぷ神社)、蔵王神社などと改称された。

蔵王権現は、釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化し出現したとされ、神道においては、「大己貴命おおなむちのみこと」「少彦名命すくなひこなのみこと」「国常立尊くにのとこたちのみこと」や、「安閑あんかん天皇(広国押建金日命ひろくにおしたてかなひのみこと)」「金山毘古命かなやまびこのみこと」と習合し、同一視されたために、それらの神々を祭神とするようになった。

なお、覚明行者かくめいぎょうじゃ普寛行者ふかんぎょうじゃが創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれる。起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/御嶽神社

 修験道をざっくり表すと、山岳信仰+神仏集合+道教なので、宗教混ぜ混ぜしがちな、すごく日本らしい宗教です(※個人の感想です)。
 今回訪問した神社は『おんたけ』ですので、木曽御嶽信仰の方のようです。

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③ 御嶽神社増設敷地寄附連名 の碑 〜寄付額の個人トップは〜

 頂上の石碑の次に大きい石碑。
おもて面には、寄附(付)した方々の名前がずらり。

表側
文字がびっしり(拡大推奨)

 一番右上の方が一番多く寄付をしたんですね。『金拾(十)円』。
 最上段右上から始まる最初の4人はどうやら同じ苗字のようで、一番読める3番目の人でおそらく『榎本』と書いてありそう。榎本家で合計二十二円。
 この石碑の裏に『明治さんじゅう六年』と刻まれています。この頃(明治30年代)の1円を公務員の初任給ベースで計算すると約2万円相当になるらしい。
 つまり、この榎本家、現在価格で44万円寄付している(個人トップは20万円)。

参照:三菱UFJ信託銀行ウェブサイト

 ちなみに「久喜市 榎本家」で調べると、面白い事がわかりました。
 久喜銀行が明治31年に設立されているのですが、この時の頭取が榎本善兵衛えのもとぜんべえだそう。寄付額個人トップ、絶対この人じゃん。

裏側
明治さんじゅう六年五月は
なんと西暦1903年!!

 ちなみに明治36(1903)年は、ライト兄弟が動力有人飛行を初めて成功させた年。歴史を感じますねぇ。
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④ 御嶽山建築寄附連名表 の碑 〜やはりトップは榎本家きみたちか〜

 ③は土地拡張のための寄付で、こちらは建築などなどの寄付。こちらも表面にずらっと刻まれています。

表側全体図
中程の拡大図

 なんとここにも榎本家がトップに!
 あとこちらの方が保存状態がよく、人名がきちんと読めます。やはり榎本善兵衛のようです。他には榎本角吉、1人飛んで榎本謙次郎が先程の石碑と共通する名前です。
 こちらの碑では、榎本家総額40円(現在価値で80万円相当)の寄付。お金の他にも色々寄付しているから、なんでしょう、とにかく 強い

下の方の拡大図

 最後の方は、削れていますが『金五拾銭』と読めます。現在価値で1万円でしょうか。僅かでも力になりたいという熱意が込められていそうです。

裏側 下の方にぎゅっと書かれていた

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⑤ なんの石像?

 最初に山を見た時の角度からは死角になる、山の中腹に注連縄を張られた石像がありました。
 注連縄が張ってあるので、神社関係だろうと見てみると……

注連縄が緑の草によく映える
滑り台(?)が写真右奥側に見える

……顔やら何やら、ほぼほぼ削られててよくわからない……
 wiki先生にも、特に載ってないし……。

像の上半分 どなたかの坐像
下半分 中央の三筋(おそらく流水)と それを挟んだ2人

 (ウェブ内を)探してみたのですが、2010年にこの御嶽神社を訪れていた方が「不動明王」と載せていらっしゃいました。
 確かに載せていらっしゃる写真は、欠損はありますが現在よりは状態が残っていて、何となく「迦楼羅炎(らしきもの)を背負って」「左髪で弁髪(らしきもの)を垂らし」「左の牙(らしきもの)が下を向いている」感じでした。
 これで「倶利伽羅くりからもしくは三鈷剣さんこけん」と「羂索けんさく(縄状の武器)」が残っていれば確実だったのですが。

 ブログの写真を載せる許可は頂いていないので、写真をなぞり書きしたものがこちら↓(2枚目は自分の写真に貼り付けてあります)

ブログの写真のなぞり書き
光背の模様や不動明王の顔、お腹周りの布が
まだギリ残っていた
現在の像に重ねたらこんな感じ
なぞり書きも正確ではないので、
ブログの写真を見て頂くことをおすすめします

 不動明王と御嶽神社の関わりを調べていたら、大元・木曽の御嶽神社のウェブサイトに載ってました。

 行者さんたちが修行をする滝に二箇所(清滝不動尊新滝不動尊)、さらに御嶽山9合目に中央不動(御本尊は中央大日大聖不動明王)が祀られていました。ですので、不動明王坐像である確率はかなり高いですね。
 木曽御嶽山の開祖で修験道の祖である役小角えんのおづぬも前鬼、後鬼を従えていたので、可能性あるかなと思ったのですが、基本、役小角の像は高下駄を履いている場合が多いので、こちらでは無さそうです。

 ……と、こんなにごちゃごちゃやっていたのに


意外にも 答えは目の前にあった

それがこちら。

榎本家の部分拡大

御嶽山建築寄附連名表 の榎本氏3番目

さらに拡大

 上から3つめの文字、『亀』か何かと思ってスルーしてたのですが、これ『瀧』じゃないか?

 つまりこれは……

ばばーん!
(見やすくするため、写真の色を反転しています)

 きっっっ、清瀧きよたき不動尊ふどうそん!!
 めっちゃ書いてあるやん!!笑
 これを見つけた時の興奮と、答えを最初から自分が持っていたのに見落としていた落胆で、物凄い情緒になっていた深夜2時 笑

 ネットとかの資料(二次資料)も本当に助かってますが、一次資料をおろそかにしたらアカンなぁとしみじみ感じました。

 と言うわけで、この⑤の像は

清瀧不動尊

で、ほぼほぼ宜しいかと考えます。(wikiに載せるには物証が足りんかなぁ?)
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⑥御嶽山遊園地擴張記念 の石碑

  石碑の『擴』は『拡』の旧字体です。まあ、石碑は「扌」+「广」+「黄」になっていますが。拡張が昭和32年なので、遊園地自体はもっと前にあったんですかね。

昭和三十二年(1957年)
日本観測隊が南極大陸初上陸した年

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⑦遊園地と鳥居

 いまだかつて、鳥居より中に遊具が存在することがあっただろうか……? 笑

神社と公園の融合
鳥居一基

 初山まいりが実施される神社なだけあって、地域で子どもを大切にしているのがわかります💡

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おわりに

  今回も長文お付き合いいただきありがとうございます!
 気になって調べると、ついつい載せたくなるのが僕の悪い癖(右京さん風w)

 しかし、やはり調べると知らなかった世界が広がって面白いですね。『御嶽』で『みたけ』と『おんたけ』と別物なんて初めて知りましたし、謎の像の正体が判明して大満足です。

 最後の最後に、この御嶽神社で謎な形のオブジェクトがあったのでそちらを載せて締めさせて頂きます。
 それでは、また次の記事で。

不思議な形の石柱(両脇にあるもの)

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