三重の鬼ヶ城に行ったら聾唖者に道案内をすることになった話



 しばしば小説家は、自分のお気に入りの宿場があるものである。宿場には限らないかもしれないが、自分を缶詰にするに相応しい土地を見つけるのが上手いと、小説家になれる。だから小説家になりたければ積極的に旅をするべきだというのが僕の意見だ。
 まぁ、これは明治から昭和時代くらいの話かもしれない。
 僕は今、三重は熊野にいる。なんと随筆家らしいことか。観光地に行き、そこで得た経験を元に随筆を認める。僕の随筆家力もここまで来たかと、我ながら天晴である。昨晩東京から三重まで車を運転して移動し、朝7時頃に伊勢神宮をお参りした。
 鬼ヶ城に行く予定はなかった。観光スポットを調べたときに名前は見ていたし、熊野古道の地をいくつか巡るつもりではいたから、結局は鬼ヶ城にも行ったかもしれない。でも今日の14時に立ち寄ったのは、たまたま丸山千枚田に向かう途上にて鬼ヶ城センターの看板を発見し、反射的に左折してみたからで、予定はしていなかったのである。ーーーというか、種明かしすると、あまり計画を立てずに一人旅しているから、鬼ヶ城に限らずほぼ予定外である。
 鬼ヶ城とは奇岩の観光スポットである。「奇岩」というと西洋美術的には主にルネサンス以降の風景画に表れる、現実にはあり得ないような形状で描かれた舞台装置としての岩のことを指す。だが観光的には、主に風雨や海の波によって削られてできた珍しい形をした地形を意味する。鬼ヶ城の場合は、地盤の隆起と波の浸食によって大変いかめしい形状を得ている様子が、鬼の居城を思わせることからこの名前がついたようだ。
 僕は一応文筆家の端くれだが、写真家の端くれでもあるので、その辺りは写真を見て欲しい。

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 さてこの鬼ヶ城、半島をぐるっと半周ほども領有している。訪れたものは東側にある「鬼ヶ城センター」の無料駐車場に車を駐め、半島を半周して鬼ヶ城を堪能することが多いだろう。そして、その後は改めて駐車場まで戻る必要がある。あるのだが、どうやって戻るのか、よくわからずにとりあえず歩いてきたという人もままいるのである。というか、僕がそうであった。
 なぜならば、鬼ヶ城に行く予定なかったのだから、戻る予定もなかったのである。
 半島の付け根部分には「鬼ヶ城トンネル」が通っていて、普通に地図を読めばそこを歩いてくぐるのが近道に思える。だから鬼ヶ城を踏破した後、僕はそのトンネルに向かった。丁度そのトンネルは工事中で、交通整理でおねえさんが立っていた。そのお姉さんが僕をやや静止しながら近づいてくる。「このトンネルは車とバイク用で、自転車や歩行者は通れないんです。」訛りの入った口調で優しく教えてくれる。
 「後ろのお二人もお連れさんですか?」とお姉さんは僕の後ろの中年男性・女性の二人を指し示す。僕は一人旅中で、連れはいない。
 鬼ヶ城トンネルは海岸線より少し高いところにあって、ここに至るまでに階段を上がってきていた。その階段の下で、僕はその二人が互いに手話で会話するのを見ていたから、二人が聴覚障害者であることを知っていた。男性の方が、おねえさんに向かって耳が聴こえないこと、でも向こうに戻りたいということを身振りで伝える。おねえさんは観光ボランティアでもなんでもなく、工事現場から離れることはできない。だから困っただろうが、なんと間髪入れずにこう続けた。「このお兄さんも東側に戻りたいみたいだから、一緒についていって案内してもらってくださいね。」そしておねえさんは僕たちに、別のトンネルを通る帰り道を教えてくれた。
 正直、面倒なことになったと思った。その時の僕は、伊勢から熊野までが思ったより遠かったーーー同じ三重県内なのに100km以上離れているーーーことや、気分で鬼ヶ城を堪能してしまった上、帰りが面倒だったことで焦っていた。早く次の観光地に向かいたかった。
 一方、面白いことになったとも思った。旅は道連れ世は情け、こうやって世界は繋がるのである。
 その二人は、二人とも完全に耳が聴こえないようだった。多分二人とも50〜60代くらいだろう。女性の方はやや足腰が弱っているようで、歩みが遅めだけれども、男性の方はお構いなしにずんずん進んでいく。二人の関係性はわからないけれども、慣れた間柄であることは間違いないだろう。
 別のトンネルというのは昔の歩行者用トンネルだということで、すごく嫌な予感がした。得てして古いトンネルは心霊スポットになりがちである。そこに向かうまでも、川沿いの細い、地元民しか通らないような通路を通っていく。結果から言えばおねえさんの説明は合っていたけれども、本当にこんな道なのかと訝しく思いながら歩いて行く。

 僕は男性と並んで歩き、女性が少し遅れてついてくる。川を覗き込んだら、白鳥が一羽佇んでいた。僕らの気配に気づいたのか、飛び立つ。大きく弧を描いて、僕らの丁度真上を通過していった。なんて美しいフォルムなんだろう。羽ばたく白鳥を真下から見上げるという機会はそうそうない。しなやかで繊細で、太陽光が少し透けて見える翼を、僕は連れをお構いなしに見つめた。

 特に男性の方は、とても気さくな人だった。僕は手話が出来ないし、彼は音声会話が出来ないから、身振り手振りでコミュニケーションするしかないのだが、すぐにそれが苦にならなくなった。そんな僕らの会話をもし言語化するなら以下のようになるだろう。
 
男性「もう疲れたよ。足が棒みたいだ。」
ピート「本当ですね。僕ももう疲れました。こんな風にしか歩けない」
男性「お、トンネルが見えてきたね。本当にあそこを通るのか?」
ピート「怖…あれ通って大丈夫か…」
男性「お化け出るんじゃねーの」
おもむろにスマホで写真を撮るピート。
男性「いやあんた、なに悠長に写真なんか撮ってるのさ。すぐにそんな余裕なくなるよ」
ピート「いや大丈夫ですって。確かに怖いけど。ほらみて、お連れさんも撮ってるじゃないですか」
男性「いやおまえ、何撮ってるんだよ、俺らも写ってるでしょ」
女性「笑」
男性「おいおい、じゃあ俺も録るよ。ほらこのビデオカメラでさ」

 トンネル内は思ったよりは暗くなく、それなりに車通りもある道だった。とはいえ、一人だったら怖かっただろう。全長507mもある。3人でよかった。
 左側に歩道があり、一方通行一車線の車道が右側に通っている。その間にガードレールはなかった。一度、男性がカメラを構えたまま車道に寄ったタイミングで車が通り抜いていき、ひやっとした時があった。彼らは後ろから迫る車の音が聴こえないから、僕が教えないといけなかったのだった。
 不思議なのは、男性が遅れてついてくる女性のことをあまり気にかけていないことだった。僕は足音で女性が少し後ろにいることがわかるが、男性にはわからないはずである。なのに男性には、彼女がついてきているという確信があるようだった。そこにどんな根拠があるのかはわからないが、二人が長い時間共にいるのだろうことだけは感じられたのだった。
 20分くらいかけて、元の駐車場にたどり着いた。二人は海沿いのやや危険のある鬼ヶ城ではなく、半島の中央部を通る展望台のコースを見てきたということが、最後になってわかった。お互いのとった写真を見せ合う。そして握手をして、手を振って、別れを告げた。結局名前もわからないから、もう会うことはないのだろう。

 僕が彼らと交流したことは、ほとんど何も証拠に残っていない。けれども、トンネルの間中録っていた動画の最後、トンネルから出て振り返った時に、彼らは映り込んでいた。確かなものはその映像だけである。途中トンネル内での映像は、ほぼトンネルの壁が映るだけだし、僕の笑い声ばかりである。でも僕にとっては、彼らの姿そのものよりも、トンネルの中で交わした会話の方が大事なのである。見返すと稚拙なやりとりしかしていないし、大半は無言だけれども、確かに通じ合っていた時間だった。



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