微笑みの王国ペタンク修行記 INタイ
2024/6/6-14の9日間、微笑みの国「タイ王国」へ行ってきた。
目的はもちろん、「ペタンク修行」である。
ご存知の通り、タイはペタンクの発祥国フランスと同等かそれ以上のレベルをもつ言わずと知れたペタンク王国である。
ちなみに昨年度の世界大会では、
タイは男子シングルス、女子ダブルス、男子トリプルスの3つのタイトルで世界一になっており
しかもレジェンド級のプサアド選手は代表から抜け監督に回り、
代わりに20〜30代で作った新生チームで世界タイトルを取ったのだから、これからもタイのペタンクはまだまだ強くなるだろう。
ということで、タイはペタンク修行の地として最適の場所だった。
さらなるレベルアップを目指して、今回は僕とペタンク仲間の堀くんと翼の3人で現地へと飛び込んだ。
大まかな旅の日程としては、8年前に国内の強化合宿の監督コーチとして来日され、その翌年のジャパンオープンの決勝戦で戦い(負けた)、
それ以来繋がりのあったタイ人のダムロンのお宅にホームステイさせてもらいながら、
各地のクラブチームの練習に参加させてもらい、あわよくば現地の大会にも参加できたらいいなという計画だった。
結果的にはバンコク周辺で3つのクラブ、バンコクから車で1時間ほどの街パタヤで1つのクラブの計4つの練習に参加させてもらい、
パタヤではダブルス、トリプルスの試合に参加することができた。
美味しいご飯を食べたり、観光地やショッピングを楽しんだり、マッサージに癒されたりと一通りタイ旅行としての面白かったエピソードもあるが、今回はペタンクについての話に焦点を当てたい。
タイペタンクについていろんな感想があるが、まず初めに結論としては
タイのおっちゃんみんなうますぎ!
誰でもいいから1人日本に持って帰りたい!!
ということをとりあえず結論としてお伝えした上で、中身に入りたいと思う。
ペタンクの楽園パタヤの海沿いコート
まず初めに参加させてもらったのが、パタヤのクラブチームの練習だった。
全員現地集合だった僕らは、到着時間がバラバラだったので、先に到着した僕と堀くんの2人でダムロンにパタヤの練習場まで連れていってもらった。
ロケーション的にはここのペタンクコートが一番僕のお気に入り。
海岸沿いの大きな公園の一角に3面のペタンクコートがあり、周りでは自由にランニングしている人や踊っている人やカラオケをしてる人たち等いて、平日なのにかなり活発な雰囲気があった。
僕らが到着したのは16時すぎだったが、とても暑くペタンクコートにはまだ誰もいなかった。
汗だくになりながら2人でボールを投げていると、だんだん日が落ちてきて、街灯の明かりが付き始めたところでチラホラとボールをもったタイ人がコートに集まり始めた。
最終的には30人ほど集まり、試合をやる人やそれを見て楽しんでいる人、試合も見ずに仲間と飲みながら話している人等、全員が何かしら楽しんでいるようだった。
そんななか僕と堀くんは、はるばる海外からやってきた日本人ということで多少みんなからの注目も受け、視線を感じる中でなんとか彼らのペタンクについていこうとするが
現地の雰囲気に飲まれてなかなかこちらの調子が出ない、といった感じだった。
ベテラン勢のおっちゃんチームになると、
ポワンテは寄るしティールは当たるし残るしで、有効球は毎メーヌ平均5球といった感じだった。
1メーヌで1球しかミスらないといった感じ。
その後22時くらいまで遊び、深夜に到着の翼を空港まで迎えに行ってこの日は終わった。
サンダルのおじいちゃんにボコられるINパタヤ
翌日ダムロンの家で起床した僕らは、ペタンク大会に参加するため再度パタヤへ向かった。
試合開始は11時半ごろと日本の試合よりも遅めのスタートだったので、途中お昼を食べて会場へ向かう。
会場に着くとすでに初戦の相手チームはコートで待っている様子で、練習をする時間もなくすぐにトリプルスのゲームが始まった。
初戦の相手は60代のフランス人ポワントゥール、60代のタイ人ミリュー、20代のタイ人ティルールのチーム。
試合時間は無制限で、11点先取り。
日本と違っていたのは、60歳以上か女性がチームにいる場合は一人につき1点はじめに与えられるというハンデルールがあることだった。
ということで初戦チームには60代が2人いたので、0-2からゲームが始まった。
よくよく考えたらこれくらいのハンデは当然だよな。
日本でもハンデルールあってもいいかもなと甘い話をしていた僕らはすぐに現実を思い知ることになる。
1点が取れない、、、。
そこまでレベルの差は感じないものの、タイでの公式戦初戦ということで試合感を掴みきれずズルズルと流れを取られたまま試合が進んでいく。
こちらも得点するメーヌはあったが、大事な場面でフランス人のおっちゃんとタイ人のおっちゃんが絶妙なプレーをしてくる。
2点ハンデいらんかったやろ笑
結局こちらは7点くらいまで得点したが、イマイチ流れを掴めず初戦は負けてしまった。
次戦はおそらく20-30代で構成されたタイ人おにいさん3人組。
こちらは終始僕らの流れでペタンクができ、なんとか勝利。
初めてタイ人が劣勢で慌てている様子を目撃した。
ペタンク王国のタイ人と言えど、劣勢で慌てだすとミスも増えるんだなと分かり、ここで少し冷静になれたような気がした。
相手は上手いけど、自分たちも有効球を1球ずつ作っていけばいずれ相手の隙は生まれるし、そこから流れは掴める!と少し自信が出てきた。
さて1勝1敗。
試合はプル方式(1ブロックに4チーム集まり、先に2勝したチームが決勝トーナメントに進出する対戦方式)で、次戦で1勝1敗同士が当たり、勝った方が決勝トーナメントに上がる。
なんとしても勝ちたい次の試合。
対戦相手を見ると20代の体格の良いお兄さんが、バンバンダイレクトティールを当てていた。
上半身の振りがやや大きめだが、体重移動でボールに勢いを乗せるタイプの投球で、当たると爆弾のように相手の球が弾け飛んで自球が残る厄介なティールだ。
しかしミリューの選手はそこまでティールを武器にしている感じはなかったので、ポワンテで相手のティール球を確実に使わせたらこちらにも勝機はありそうだ。
幸いにもテランはキメの細かい薄い砂利で、普段日本でやっているルーレットポワンテでも問題なく寄った。
しかし誤算があった。
相手のポワントゥールはさらに正確に寄せてきたのだ。
タイではみんながガンガンティールしてきて、ポワンテはそれなりによればOKくらいの感じだろうと思っていたのだが、このチームはポワンテも丁寧だった。
結局ティルールとポワントゥールの4球に流れを掴まれてしまい、なかなか相手の弱点であるミリューを引っ張り出すことができないでいた。
そのうちに慣れない暑さから僕たちは集中力を失ってしまい、時間無制限ではあったが、逆転のきっかけを作れずあっさり負けてしまった。
結果トリプルスは1勝2敗の予選落ちで終わった。
(↑ 僕らの予選ブロック。両チームに負けた。。。)
時間は15時ごろ。
暑さのせいで、立っているだけで汗が噴き出してくる。
しかも暑さを紛らわすために冷たい水ばかり飲んでいたので、お腹もちょっとゆるい。
周りを見渡してみると、みんな平気そうな顔をしてスイスイボールを投げている。
海外でプレーするには、精神的にはもちろん身体的にもタフさが必要だと思った。
1時間ほど休憩をはさみ、続いてダブルスの部が始まると聞いたので、せっかくだからということでそちらも参加することになった。
僕と翼ペア、堀くんとダムロンペアの2チームで参加することになり、
指定されたコートに向かい僕と翼は早速練習を始めた。
しばらくして70代くらいのおじいちゃんが2人やってきた。
彼らが僕らの初戦の相手だった。
2人は1球も投げることなく試合が始まったので、相手のレベル感が全く分からず、とりあえずビュット権をもらった僕たちは7メートルのところにビュットを投げ、初球のポワンテを良い位置につけた。
相手の出方をうかがう。
ティルールらしきサンダルのおじいちゃんがサークルに入り、ボールの握りを注意深く確認するような独特のルーティンの後、勢いのあるダイレクトティールをパチっと決めてきた。
まあまあ、カローじゃないし大丈夫。(ちょっと焦り)
その後もサンダルのおじいちゃんは一向にティールを外さない。
ついでにポワンテのおじいちゃんもティールを外さない。
むしろこちらがポワンテをするたびに、ノリノリで調子を上げてくる。
試合が始まって6メーヌくらい、サンダルのおじいちゃんは1球もティールを外さなかった。
メーヌが取れない笑
一方的に得点を奪われ、相手のティールが当たりやすい短めの距離にビュットを投げられ、さらに全部当てられる。
ついでに3球に1球はカローされる。
このままでは終われないということで、なんとかビュット権を取り長距離で勝負を仕掛けてみる。
少し相手のティールとポワンテが乱れだした!
これは戦えるぞ!と思ったのも束の間、
長距離のティールにもすぐに対応してきてまたメーヌを取られ
そして6メートル地獄がまた始まる。
その頃にはサンダルのおじいちゃんは余裕たっぷりニコニコで優雅にプレーしていた。
失敗したら即ゲームセットの山場を何度か凌いだが、ついには巻き返すことができず試合終了。
のちにタイペタンク修行を振り返ってみたが、このサンダルのおじいちゃんが一番ティールが当たっていたと思う。
凄まじかった。。。
ペタンクは年齢関係なくできるスポーツということを改めて思い知った。
いや、むしろおじいちゃんの方が強い。
次の試合は、30代くらいの女性2人ペアのチームだった。
ハンデルールに従い0-2から試合が始まった。
この試合は翼のティールが炸裂して、カロー連発に加えビュット飛ばしも何度か決まり、完封に近い形で勝った。
またしても1勝1敗で、あとが無くなった僕と翼ペア。
決勝トーナメント進出をかけた予選3試合目の相手は、昨日パタヤのペタンクコートで一緒に練習をやったお兄さんとお姉さんだった。
お姉さんのポワンテ球は割と早めに処理できるのだが、ティルールのお兄さんの球が厄介だった。
彼は一投目のポワンテやティールはまともに来るが、上手くいかなかった場合、次の投球はとにかく
「必ず有効球を作る」
ことを第一優先にしていた。
展開を変えるためにはルーレットのティールもするし、プセットで相手の球を弾き自球を残し2点にしたりと、とにかく何でもアリだった。
この旅を通して、タイ人が2球連続で失投するところはあまり見かけなかった。
ポワンテも2球連続で投げるところも見なかった。
一投ポワンテで、入らなければ次は大抵ティールで展開を変えにきていた。
彼らは変なこだわりがなく、勝つために一番簡単で確実な投球・戦略を常に実行し、そしてゲームを有利に進めていた。
3試合目、またしてもやられてしまった。
勝てる可能性もあったが、あと一歩足りなかった。
その一歩は、彼らのように勝つために何でもやる「強かさ」だったのかもしれない。
堀くん・ダムロンペアも善戦したものの予選2敗に終わり、僕らのパタヤオープン大会は終わった。
池のほとりのおっちゃん編INバンコク
パタヤーでの試合の翌日、僕たちはペタンクを休んで首都バンコクの市街地へ出かけた。
ここでは言えない都会のムフフなお楽しみも含めて一通りこなした僕たちは、またペタンク修行を再開した。
今回やってきたのは、バンコクの名もなき池のほとりのペタンクコート。
僕らが到着すると、クラブの上手いおっちゃん3人衆がチームを組んで僕らの試合相手になってくれた。
僕らとおっちゃん3人衆の他にも15人くらいいて、空いてるコートもあったが、みんな練習をやめて僕らの試合を観戦し始めた。
はるばるやってきたイープン(タイ語で日本人)のレベルでも見てやるか!っといったとこだろうか。
結果、僕たちはここで今回のペタンク修行で一番の大敗北を喫したのだった。
クラブのおっちゃん衆と3回試合をして、3回とも負けた。
1回目、2回目と、試合が終わった時にもう一回やろうとおっちゃん衆が声を掛けてくれたが、3回目が終わった時はもう何も言われなかった。
多分、今日はもう君らは勝てないと思われたのだろう。
後味が悪かったのであまり振り返りたくないが、プレイの引き出しの多さとシンプルに実力差が出てしまったような感じだった。
横で観戦していた別のおっちゃんに慰めとして、氷入りのビールともち米をバナナの皮で巻いたおやつをもらい、その日は家路についた。
ちなみにその日は早めに全行程が終わり、ダムロンと自宅でグリーンカレーを食べた後も僕らは元気だったので、近所のナイトマーケットへ出かけた。
今回の僕らは、気持ちの切り替えが上手かった。
普通の旅行では、観光地に行って楽しい、ご当地グルメを食べて幸せ、欲しかった物が買えて嬉しい、といった「快」の感情がほとんどだろう。
しかし今回のペタンク旅は少し違っていた。
ペタンクでタイ人にボコボコにされて、
「悔しい」「恥ずかしい」「帰りたい」
といった「不快」の感情も常に抱えていた。
後から振り返れば、このいろんな感情が短期間に入り乱れた今回の旅は、とても濃く忘れられない時間になったことは間違いない。
しかしリアルタイムでは、「快」と「不快」が交互にやってくるジェットコースターのような高刺激の毎日で、
夜は凍えるほどエアコンが効いているし、気を抜くとすぐにでも体調を崩しそうだった。
そんな中、僕らは気持ちの切り替えが早かった。
タイを全力で楽しみたいし、タイのペタンクをできる限り吸収したかった。
感情の波に押されて一喜一憂している暇はなかった。
反省会は日本に帰ってからやればいい。
僕らはまだまだやれる。
そんな希望を胸に僕らは床へ就き、極寒の寝室でペラペラの布団を毎晩奪い合った。
ジュニアに勝って自信がついた夜INバンブーン
旅も残すはあと2日となった。
ダムロンが、「今日はバンブーンに行くよ」と言ってきた。
バンブーン?
Googleマップでバンブーンを検索すると、バンコクからパタヤに向かう途中にある小さな町だった。
僕たちとダムロンはとてもアバウトな英語で会話していたので、バンブーンで何をするのか分からなかった。
ダムロンはバンブーンで友達とランチの約束をしていたようで、そこに僕らも呼ばれる形で一緒に食事をとった。
辛いや酸っぱいや口の中が何かと忙しいが、とにかくタイ料理は美味い。
その後ダムロンの友達と別れると、僕らは近くの空き地に到着した。
ペタンクコートではなく、半分草むらの混じった「空き地」だった。
ダムロンから「トレーニング!」と言われたので、
とりあえず僕らはボールを取り出し投げ始めるが、とにかく暑い。
午後15時ごろ影は全くなく、立っているだけでふらつく様な暑さだった。
そんな中でも僕らは自主的にボールを投げ続けた。
この旅の間に、次に繋がる「何か」を掴みたかったのかもしれない。
タイ人とのペタンクにも次第に慣れてきて、いつもの平常心でプレーできるようになってきた僕らは
ポワンテ多めのペタンクであればある程度戦えるようになっていた。
こちら側はポワンテ重視でビュットライン上に置き、相手のティルールを引っ張り出しミスを誘う戦い方である。
しかしこの戦い方には限界がある。
相手がティールを失敗した場合は勝てるが、失敗しなかった場合はそのまま負ける。
つまり勝つか負けるかは相手次第になってしまう。
ちなみに今の日本のレベルでは、このポワンテ重視のペタンクで十分勝ててしまうように思う。
日本の試合会場のテランが砂地でポワンテが簡単に寄ることと、
そのポワンテの確率を超えるティルール選手がほとんどいないことが原因だと思う。
しかしここはタイ。
そこまでレベルの高くないチームにはポワンテ重視のペタンクでもある程度戦えるが、レベルが上がってくるとそうも言ってられない。
確実にティールが当たるので、相手のミスを待っている間にこちらのポワンテが潰れてしまう。
第一、基本的にはタイのテランは砂利がメインなので
ポワンテも日本のパンケーキのようなフワフワテランのように簡単には寄らない。
砂利の上での中途半端なポワンテは、着地時に石に蹴られることも増えるため、一気に不確実な投球になってしまう。
だからと言って、僕らがいきなり持ち球全てティールするような戦法をとるのはどうなのだろうか。
僕はペタンクにおける戦略は、誰にでも当てはまる正解などは無く
そのチームの技術量によって最適の戦略が決まると思っている。
世界チャンピョンはティールが99%当たるから、6球ティールの戦術を取ることができるけど、
同じことを打率6割の僕らがやると、それは無謀なペタンクになってしまう。
僕たちは自分たちの技量を過信せず、また過小評価もせず客観的に測った上で
一番成功確率が高くなるポワンテとティールの割合を決定し、戦術として組み込む必要がある。
多分そうすると僕らの今の技量で言えば、
4球ポワンテ、2球ティール
もしくは
3球ポワンテ、3球ティール
くらいが妥当だろう。
しかしそれでは、日本では勝てるがタイでは勝てない。
ポワンテで相手のミス待ちをするのではなく、
僕らが「ティール」で主体的にゲームを作り、「ティール」で勝つしかない。
そのためには少なくとも、6球(メーヌ全てティール)は連続でティールを当てるくらいでないとダメだ。
(パタヤ大会のサンダルのおじいちゃんには6球ティール戦法を取られ手も足も出なかった)
僕らはそれぞれ2球ずつ球を持ち、3人で6球連続でティールを当てる、外れたらまたゼロからやり直し
と言った即席の遊びを始めた。
そうこうしているうちに日が暮れ始め、涼しくなってきた頃
どこからともなくボールを握ったおっちゃん達がやってきた。
僕らは暑い中自主練をしていたので、かなり疲れてきていたけど
どうやら本番はこれからのようだった。
おっちゃんたちは慣れた手つきで折りたたみテーブルを広げ、そこにビールやおつまみも用意しての「ペタンク宴」が始まった。
僕らはその後もおっちゃん達に相手になってもらい、かなり調子も上がってきたところで、少し遅れて子どもたち男女4人がやってきた。
見た感じ小学校低学年2人、中学生2人と言った感じだろうか。
みんなフォームが柔らかいし、上手い。
ポワンテも寄るし、ティールもよく当たる。
そんなジュニアチームと僕らの親善試合をやろうと監督のおじさんが提案してきた。
ということで、イープンVSジュニアチームの試合が始まった。
横で遊んでいたおっちゃん達もビール片手に僕らの試合を観戦し始めた。
ダムロンから僕らにアドバイスが入った。
「子どもだけど彼らは強いぞ、本気でやって勝ちなさい。」
序盤3メーヌ、小学生の男の子のティールが炸裂しリードされる。
しかしそこから、僕らもひかなかった。
めちゃくちゃ上手な彼らだったけど、この1週間タイのおっちゃんたちに揉まれたおかげでかなり戦えている。
そして最後は翼が2球しっかりティールを決めて僕らが勝った。
後から聞いたが、彼らは現地の大会でもかなり勝っているそうだ。
僕らはこの10日間で確実に強くなっている。
そんな実感が得られた夜だった。
少し話がそれるがこのペタンク修行の間、ずっとダムロンが横にいてくれたので、僕らはよく指導してもらっていた。
ここで改めてダムロンの人物像について少し補足すると、
僕が初めてダムロンに会ったのは、8年ほど前の強化指定選手の合宿で長野に行った際にコーチとしてタイからやってきた時だった。
ちなみに翼と初めて会ったのもその時だった気がする。
ダムロンの指導は極めて基本に忠実な教えで、戦略についても合理的で理にかなっていることを言う。
逆に言えば目から鱗というか、
「絶対に勝てる秘技」みたいなものは言わない。
そんなものスポーツの世界にないのは知っているし、基本が全てなのは知っているが
教わる身としては、ダムロンの教えの信憑性というか
ダムロン自身のペタンクのレベルや、ペタンク界でどんな功績がある人なのだろうというのは多少気になるところ。
マレーシアとシンガポールのナショナルチームの監督をしていた時期もあるそうだが、
本業を聞くと、「私はプロゴルファーだ」と言う。
ペタンク指導の時は真面目な感じだけど、
少し暇ができると、すかさずYouTubeやTikTokでえっちなお姉さんの動画を見て嬉しそうに手を叩いて喜んでいる愛すべきスケベおじいちゃんだ。
ダムロンはこの旅の間もいろんな人に熱心に投球についての指導をしていた。
それをみんな熱心に聞いている。
おじいちゃんのうんちくを嫌々聞かされていると言う感じではなく、僕らがボロボロに負けたおっちゃんたちも、積極的にダムロンから教えを乞うている感じだった。
ダムロン、やっぱりすごい人なんかもしれないな。
僕はダムロンに聞いてみた。
ダムロンは昔はペタンク選手だったの?
「そうだよ昔はタイ代表だったよ」
「!?」
ダムロンはタイ代表だった。
実績で態度を変えるのはアレだけど、僕はダムロンがタイ代表だったと聞いて見る目が変わった。
「ちょっとペタンクが上手い陽気なエロじいちゃん」
から、
「昔タイ代表選手だった偉大なダムロン監督」になった。
念願の世界最強空軍ペタンククラブへ参戦INバンコク
タイ修行最終日。
この日僕たちはドンムアン空港の隣にある、タイ王国空軍管轄のペタンクコートにいた。
と言うのも、タイのナショナルチームの練習に参加させてもらえることになったのだった!
(ちなみにタイの代表団は全て空軍から選抜されているため、選手は全員軍人)
僕が2019年のアジア大会に参加した際、タイチームの監督をしていたアヌーラックさん(通称ラック)にユニフォームを交換してもらった。
選手でなく監督にユニフォームをもらった理由は、単純に僕とシャツの大きさが同じそうだったからだ。(選手たちはみんな細い)
その時にfacebookも交換していたので、今回の渡航にあたってラックにダメ元でナショナルチームの練習に参加させてもらえないかと聞いてみた。
そしたらすぐに返事が来て、なんとOKとのこと。
と言うわけで、ドンムアン空港の隣にあるタイ王国空軍管轄のペタンクコートへやってきた。
すぐにラックが僕たちを迎えてくれた。
ふと練習している人たちを見ると、女子の世界チャンピョン選手や男子のナショナルチームのメンバーで、YouTubeでよく見る人たちもいる!
少し横で一緒に練習させてもらっていると、ラックが何か飲むか?と声を掛けてくれた。
僕たちはラックに連れられて売店へ行くと、エアフォース(空軍)と書かれたユニフォームが売られていた。
記念になると思い、僕たちはお揃いで数枚購入した。
ラックは空軍職員ということで、3割引きの社割を効かせてくれたらしく、ジャケットも合わせてとても安くに買わせてもらった。
ふと胸元のロゴを見るとタイ語で何か書かれていたので、タイ語→日本語でGoogleレンズにかけてみると
「空軍タクロークラブ」 と書いてあった。
どうやらこれは、セパタクロー(タイ発祥のマニアックスポーツ)のユニフォームのようだった。
タイ王国空軍のセパタクロークラブのユニフォームを持っている日本人はなかなかいないだろうなと、すこし得意になった。
その後またペタンクコートに戻ると、試合をするか?と誘ってもらい、僕たちは空軍シニアチームと対戦することになった。
本当のことを言えば、女子世界チャンピョンの2人と対戦したかったが、たまたまその日チャンピョンの1人が誕生日だったようで、仲間にバースデーソングを歌ってもらい盛り上がっているところだった。
まあ、シニアチームといえど天下のタイ空軍チーム。
僕らは本腰を入れて戦うことにした。
しかし彼らはランチ後のリラックスモードだったのか、あまりティールもポワンテも確率がよくなかった。
いや上手かったけど、僕らの目が肥えてきてたのかもしれない。
この10日間で上手いおっちゃんたちと戦いすぎた。
そして普通に勝てた。
シニアチームだったとはいえ、空軍チームに勝てたことは嬉しかった。
この10日間という短い期間で、技術的に上手くなったとはさすがに言えないだろう。
だけど、タイ人相手に緊張するなんてことは最初の数日でなくなったし、
むしろ技術的には負けてるけど、なんとかして勝つ方法を試合をしながら模索し、
突然来る得点のチャンスは絶対に掴み取ったるぞ、というくらいの気概も出てきた。
各自投球の確率を上げるという課題は最後まで残ったが、タイ人は決して雲の上の存在ではなく、
「僕らも必ずここまで登ってこれる」
という確信を得たのは堀くんと翼もきっと同じはず。
こうして僕らの、「微笑みの王国ペタンク修行INタイ」の全行程が終わった。
まとめ
この旅を通して、タイ人と比べてティールの打率に差があることを痛感した。
「やっぱり海外のペタンクはティールがメインなんだ」
「僕らもタイ人のようにもっとティールしていかないとダメだ」
というような焦りが常にあった。
しかし帰国して考えてみると、それはそれで短絡的だと思った。
あくまで彼らは砂利のテランでポワンテよりティールの方が簡単だからティールを多用していただけだったし、
優秀なポワントゥールがいるチームの方が、ゲームを有利に進めていたのはタイでも同じだった。
それを表面的に「タイはティール主体のペタンク」のところだけを切り取って、打率もままならないのに真似してみたり、そのせいで「ポワンテが適当」になってしまったりしては本末転倒だと思う。
まずは安定したポワンテに、安定したティールをどんな状況でもやる。
そして試合の基盤を作る。
その強固な土台の上に応用としての「ティール主体のペタンク」が見えてくるはず。
僕らはちょうど今その境目くらいにいる。
今回のタイ修行では、相手がハイレベルな「ティール主体のペタンク」を仕掛けてきたときに、こちらの技量が足りずに「ティール主体のペタンク」で応戦するという選択肢を取れない悔しい場面がいくつもあった。
この現状を変えるには結局ティールの確率をあげるしかない。
今はまだ日本で「ハイレベルなティール主体のペタンク」を仕掛けてくるチームはほとんどいないが、やっぱり僕らは目標地としてそういうペタンクをやって勝っていきたい。
それもポワンテに負けるような中途半端な打率のティールではダメだ。
ティール主体のペタンクで勝ち上がってくるチームが出てくると、それまでポワンテ主体で勝ち上がってきたチームは戦略的に限界を感じるはずなので、今よりもっとティールのペタンクが日本で普及するはず。
そしたら全体のティールのレベルも上がり、海外でも戦える日本人もちらほら出てくるかもしれない。
だから、まずは自分たちが見本としてそういう存在になろう。
そんなことを話し合い、僕らは気持ち新たに日本へ帰国した。
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皆さんにタイでのペタンクの雰囲気を感じてもらえたらと思い文章にしてみましたが、
途中から旅で感じたことを忘れたくないと思い自分への備忘録的な側面も大きくなってしまい、読みづらい点もあったかもしれません。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
この旅を通してたくさんお世話になったダムロン、ダムロンママ、本当にありがとう。
2人がいたおかげで、数えきれない現地での素敵な出会いがありました。
そして一緒に旅をしてくれた堀くんと翼もありがとう。
これからも日本のペタンクを一緒に盛り上げていこう。
おまけ:タイのお守りプラクルアンを求めて
男子タイ代表チームの現リーダー的存在であるサラウット・スリボンペン選手(通称ジャック)が、国際大会の時に首から独特なアクセサリーをつけていた。
よく見ると監督も似たようなものをつけている。
正体を調べて見ると、
それは「プラクルアン」というタイのお守りであることが分かった。
形から入りたい僕は、このプラクルアンが売っているというバンコクの王宮エリアにあるアミュレットマーケットへ向かった。
細い路地を進むと、そこには無数のプラクルアンが店頭に並べられている。
いろんなデザインのものがあったが、僕は直感でこれを選んだ。
その夜このプラクルアンについて調べてみると、「プラピッター」という名前のプラクルアンであることが分かった。
「目を閉じる僧侶」という意味で、顔を隠している事から「人生において嫌なものを見ないですむ」という御利益(災難から身を守る効果)があるといわれているようだ。
他にもいろんなプラクルアンがあり、安いものだと100円程度だが、高いものだと億単位で売買されているものもあるそうだ。
奥が深くておもしろい世界だと思った。