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退職して18年経ってカルビーのありがたみが身に染みた話

私は独身の頃、カルビーで働いていました。そう、ポテトチップスやらかっぱえびせんやら、じゃがりこやらを発売している、あの、みんな大好きカルビーです。

もう退職して気がつけば18年も経ったのですが、最近出会った学びの仲間に、立て続けに「カルビーの人事ってすごいいいよね」と言われることがあって。
へぇそうなのか。私の夫もカルビーだけど、人事がどうだかはよく知らないなぁなんて思ってました。

でも今朝、カルビーでご一緒していた超お久しぶりの方からメッセージがきていて、それに返信しているうちに、会社勤めてしていた頃の記憶が一気によみがえって、いや待てよ、今の私はカルビーが形作ってくれたんじゃないか!?と思いはじめたんですよね。

4年研修してもらって、3年半働いて、辞めるなんて

私はトータル7年半カルビーに勤めたのですが・・・。

最初の1年は研修&仮配属。
その後配属になった近畿支店のマーケティンググループでは、2年間見習いでーす、みたいな感じで過ごし。
その後東京本社に転勤になり、消費者調査を担当するようになってからも、1年間はぴったり先輩にくっついて見習い。

ここまで4年間、お給料をもらいながら、ほぼ何も生み出さず、独り立ちしたねぇと言われてから、3年半で寿退職してしまいました。

これ、今思うと、完全に採用にかけたコスト、回収できてないですよね・・・。

でも、私の人生を振り返ったとき、確実にこの7年半で私は社会人として育ててもらって今があるんですよね。
それも、全く押しつけがましくなく。

研修天国

私が就職したのは2001年。「就職超氷河期」と呼ばれていた時期でした。

でも、なのか。だから、なのか。
運良く採用された私たちは、社会人経験0から、とても丁寧に育ててもらいました。

入社式のあと、2週間の本社研修で、カルビーの歴史やマナー講座、いろいろな部署の先輩の話を聞く座学、プレゼン講座、などを受けました。

フリーランスになった今だから思う。
この研修を、お給料をいただきながら受けられるなんて、ありがたすぎる。当時はなんとも思ってなかったけれど、これと同じクオリティの研修を今自費で受けようと思うと、一体いくらかかるんだろう・・・。


本社研修の後は、1カ月半の工場研修。カルビー製品を作る現場に何週間かずつ順番に配置され、じゃがいもの芽を取ったり、スナック菓子の生地の焦げを取ったり、箱詰めをしたり・・・一通り経験しました。

秋には1カ月半、北海道のじゃがいもを受け入れる支所に配属される「馬鈴薯研修」に。
これは研修という名の労働力だ、と言われていましたが、私が配属された女満別の支所は、そんなにじゃがいもの受け入れ量が多くなく、休みはちゃんともらえて、道東観光を楽しみました。

これもさ、こんなに時間をかけて、会社の仕事を体験させてもらうなんて、ほんといい会社、だったのか、いい時代、だったのか。

思い返せば、就活のとき、東京まで最終面接に行った帰りに、人事の男性がでっかい紙袋いっぱいのカルビー製品を「新製品もあるからね」なんて言って嬉しそうに渡してくれました。
そのとき、あぁなんて土臭くていい会社なんだ!と思った、あの感じで育ててくれてたんですよね。

自社の製品や作ってる過程に自信を持っていて、さぁ君たちはこの会社でこれから働いていくんだよ、とじっくり教えてくれる。
いい時代だった・・・(遠い目)

雑用をする意味

1年の研修後、配属されたのは、実家から通える近畿支店のマーケティンググループ。
本社の商品部と、支店の営業をつなぐような役割でした。が、この期間も相変わらず私はほとんど何も生み出していませんでした。

社員旅行の企画、支店全体のホテルでやるような忘年会の幹事、あとは若手の人たちと雪合戦大会にも出たなぁ・・・。

今は泊まりがけの社員旅行なんて、カルビーでもやっていないでしょうが、20年前はまだそういうのがありました。
下っ端になって、大勢の先輩たちに囲まれてあれやこれや雑用をやる、という経験も、思えば対人コミュニケーションを磨くためにとっても大切なことですよね。

そんな幹事をやっていたこともすっかり忘れていたけれど、仕事よりも、そういうことを思い出すってことは、自分の中に要素として残っているのでしょうね。(そういえば今年、オフ会の幹事をやって褒められた)

私の「好き」に出合った

近畿支店のマーケティンググループに2年弱在籍したのち、本社の生活研究室というところに転勤になりました。
のちにマーケティンググループに合併されるこの部署は、当時、商品開発のための消費者研究をすることに特化した部署でした。

そこで私が担当することになったのが、定性調査と呼ばれるインタビュー調査でした。お客さまに望まれる商品を生み出すために、お客さまの声を聞こう、ということです。
私はその部署に来るまで、そんな仕事があるだなんて知らなかったのですが、これがどんぴしゃ、私の好きな仕事だったのです。

当時の人事では、新卒採用した時点から「この子は後々、こういう部署に」という構想がある、という噂を聞いたことがありました。
私のどういうところをどう見極めて、定性調査という仕事に就かせてもらったのは結局分からずじまいですが、合ってたのでしょうね。すごいな。

今ではインタビューライターとして仕事をしている私ですが、このインタビューの楽しさを知ったのは、間違いなく、この部署での経験です。
ということは、私の素質みたいなのを掘り起こしてくれたのは、カルビーでの経験なんですよ。

歴史的瞬間に立ちあえた

私が本社で調査を担当していたのは、計4年くらい。最後の2年くらいは、マーケティンググループのなかの一担当だったので、ブランディングや商品開発に関わることも、体験させてもらいました。

今思うと、カルビーのマーケティングの現場を生で体験できてるって、すごい貴重なことです。

カルビーのコーポレートメッセージ「掘りだそう、自然の力。」をはじめて策定するプロジェクトにも、正式メンバーだったのか、ただのお手伝いだったのかは忘れたのですが、参加していました。

このコピーは今見ても惚れ惚れするのですが、これが生まれた場に居合わせた幸せは、言葉を仕事にするようになった今、改めて感じます。

丸1日だか2日だかのワークショップを経て、その場にいたコピーライターさんが、その場書きでこのメッセージを発表されたときは、おぉ~となりましたね。
当時の広告部長が「ホンモノのコピーライターさんの仕事を初めて見たよ。ゾクゾクするよなぁ」と私にささやいてこられたのも印象的でした。

スナック菓子にとらわれない、新しい商品を開発するという「ドリームブランドプロジェクト」のメンバーになったのは、もう結婚を意識し始めたころだったかな。

結局コンセプトが決まった段階で私は退職してしまったのですが、当時の上司が少し前、テレビでこの商品が完成したのちのことを「黒歴史」として笑顔で語っていたのには、だいぶウケましたが。
上司はずいぶんと大変な思いをしただろに、あんなに柔和なお顔で語られている様子、とてもいいなと思いました。

会社は辞めちゃったけど、私の中に生き続けている

28歳で今の夫にプロポーズしてもらい、1年後には結婚しよう、そうなると栃木に引っ越すことになるから、会社は辞めるか転勤させてもらわないとね・・・という話になっていたとき。
上司から、大学院で勉強してMBAを取らないか、という話がありました。どんだけ社員の教育にお金をかけてくれる会社だったのでしょうね。

大学院に行って、マーケティングのプロになって、商品開発なんかしちゃってる私と、仕事を辞めて宇都宮に引っ越し、結婚している私・・・。
一瞬迷ったかな?迷わなかった気もするな。後者を選んだわけですが、前者を選んでいたら、今頃私どうなっていたのかな?とふと思うときがあります。

当時の総務の方に退職の手続きをしてもらうとき「寿退職はすごく久しぶり!7年振りかなぁ!でもいいと思うよ!」みたいなことを言われ、結婚するのが東京の人だったら、辞めてないけどなぁ、と思ったのを覚えています。

こんなにコストをかけて育てた社員を、「結婚おめでとう!」と送り出してくれる会社てのも、心が広いですよねぇ。社内結婚だった、というのもあるのかもしれませんが・・・。

今思い返すと、「カルビーの人事すごいね」の根っこは、私が勤めていた頃からあったんですよね。私はカルビーという会社に育ててもらい、そして恩返しをしないまま辞めちゃったなぁと思います。
そして、カルビーに豊かな土壌で育て、掘りだしてもらった私の芽は、今の私の軸になっている。
なんだかじーんとしますね。

これはまだカルビーに勤めている夫に、頑張ってもらうしかないですね。

時間が経って、振り返るからこそ分かることがある。
今朝のメッセージからぶわーっと思い出したことを、徒然なるままに書きました。


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