アッパーミドルビジネスマン
いよいよ伸び上がってきた、ブルジュドバイ(当時の呼び名、現在はブルジュ・ハリファ)や全室スイートの7つ星ホテル、ブルジュ・アル・アラブ等、7ヶ月振りの超近代的な建物達に、俺はただただ圧倒され続けた。
それを横目に「ドバイには世界中から資本が投入され、今少し加熱気味ですね」 アナンダンは何食わぬ顔でそう言う。
産油国ではないこの国は、徹底的に観光特化を目指し、その徹底振りは世界一であらねば・・を常にモットーとしていた。
そしてそのグランドデザイン通り、この7ヶ月で蜃気楼の街は以前にも増して高く、広く、深く広がり続けていた。
数時間かからず、以外にもコンパクトな蜃気楼の街巡りは終わりアナンダンに用意してもらったホテルへ送り届けてもらった。
「溜息の街・ドバイだな」・・・ 眠りつく前に、そうこぼした俺だった。
翌日迎えに来たアナンダンと、彼のオフショアアカウント扱う銀行で日本では聞いた事のない共有名義の口座をアナンダンとの名義で開設を行い、
俺のドバイ分のコミッション2000$(約25万円)を入金してもらった。
彼らインド人の財テク能力は、中国人に並び有名なのは知っていた。ここはアナンダンに任せておくのが賢明だろう。
どちらにしても金脈が尽きるまで、「名も無き村」での暮らしが続く、
お金を使うこともない生活の俺だ。イマノワもシャンカールと共有口座を開設し、コミッション分は彼らの運用に任せていると出国前に教えてくれていたので、俺もアナンダンにコミッション運用を任せることにした。
「名も無き村」で日々、未来を信じ汗を流しているリベリア人と同じように
「信じて賭す」
しかし気軽に考えていた運用だったが、後にこの運用は限りなく大きく増幅していくのであった。