我流・天恵禅語 ・・・ 人間とは可能性の種子
既成宗教には 疑問しかない自分ですが
偉大なる「悟性」を に到達し
そして オリジナルな 光明を得た
尊師(これオウム教世代には ミスインブリントされそうなので) 又は
覚者 釈尊の 言葉から・・・・
己こそ己の寄るべ
己を置きて
誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそ
まこと得難き寄るべなり。
自ら悪をなさば
自ら汚れ
自ら悪をなさざれば
自らが清し。
清きも清からざるも
自らのことなり。
他のものに寄りて
清むることを得ず
瞑目合掌
若き日々全てを賭していた 少林寺拳法道場時代から 唱えていた言葉に
現在の 三位一体のワークの 骨格を 手にしていた事を
再発見させられた 夜に・・・・
多くの 覚者が 「種」の 講話を残している
イエスだと 小さなからし種が 大木に・・・・
マスター達が 到達した 「光明」の空間には
多くの 真理が 早く満たし 一歩踏み出しなさい・・と
自己変革を 外圧ではなく 自己意識で 選択した者に
幸あれ・・と 扉は 開放されている・・
太陽や 月 大地から 日々得続けるメッセージが
12月の声を 聞いて あふれ出して とまらなくなってきている
ケチに 抱えるより
豊穣へと あふれ出した 「純粋意識」からの 禅語を・・・ 今日も・・・・
人は それぞれ 皆 全て
可能性・・という 未だ 発芽しない種を持って 生きている
貴方がする事は どんな苦難の中でも
先ず 生まれ変わりの種を 見つけ
発芽させる 土壌を 整える・・・
見返りよりも 大切な 古きを纏わぬ自分を
その土壌で発芽させていく 枯れても 種は無尽蔵に存在する
生きていくとは そういう事
森羅親愛合掌