No.169 2024年4月 私の人生を大きく変えた小学生と出会った場所を訪ねる
私は大学3年生の後期にある子どもと出会いました。その子どもと出会えなければ私の人生は大きく変わっていたと思います。きっと小学校の先生への道を考えなかったかもしれません。
母親が福祉に関心があり、共働き(当時の言い方になるかもしれません)の方の乳児を日中保育していたこともありました。その関係で川崎市の福祉事務所からある子どもの遊び相手として週に1度のボランティアを依頼されました。その子どもが住んでいたのが私の自宅から徒歩30分の小高い丘の加瀬山周辺の家でした。私の役割は週に1度2時間ぐらいその子の遊び相手になることでした。遊び相手になっていると中学や高校の教育ではなく小学校の教育もいいなと考え始めるようになってきたのでした。
ある意味私の人生にとって運命的な出会いの場所をもう一度訪ねたいと思っていましたが、実行することが出来ませんでした。2024年4月にやっと実行できました。私の記憶では子どもと遊んだのは、加瀬山にある夢見ヶ崎公園が中心だったように思います。小高い丘の下にある公園でも遊んだ記憶があります。なにしろ50年ほど前のことですから記憶もおぼろげです。
どのように辿って行ったのか、ご紹介致します。
加瀬山の下に公園があってここでも遊んだ記憶があります。
丘を登っていくと
公園に着きます。ここで遊んだ記憶もよみがえってきました。
その公園の横には夢見ヶ崎動物公園があります。当時から無料でしたのでこの動物園は最も遊んだ場所でした。当時と動物は代わっているかもしれませんがこんな動物が現在見られました。
動物園の中にも公園があります。ここで遊んだ記憶がありますが定かではありません。
夢見ヶ崎動物公園
https://www.yumemizoo.com/
夢見ヶ崎動物公園の夢見ヶ崎という名前は面白いですよね。私は子どもの頃からこの名前の由来を聞いていました。夢見ヶ崎の名前は、室町時代の武将太田道灌(おおたどうかん)が見た夢に由来しています。太田道灌がこの地に城を築こうとしましたが、鷲に兜を取られる夢を見て城を築くのをあきらめたと伝えられています。
現在、公園内に「太田道灌公碑」が立っていますがこれは最近立てられたようです。
太田道灌は江戸城を築いたことで有名ですが、太田道灌が夢見ヶ崎で「鷲に兜を取られる夢」を見なかったら今の夢見ヶ崎公園には江戸城が築かれたのかもしれません。私が学生の頃ここである小学生に会うことにより人生が大きく変わったように、太田道灌が夢を見なかったら歴史は大きくかわったのかもしれません。この地に江戸城がつくられ皇居もここにあることになったかもしれません。
太田道灌
ほのぼの日本史
https://hono.jp/edo/ota-dokan/
人生も歴史も紙一重の運命かもしれません。