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No.194 2024年10月 袴田さん 無罪確定へ 逮捕から58年

 『朝日新聞』2024年10月9日の朝刊各紙一面では、「袴田さん 無罪確定」の記事が掲載されていました。『朝日新聞』一面には次のような見出しが見られました。
 「袴田さん 無罪確定」
「検察控訴せず 捏造認定は『強い不満』」
「逮捕58年 長期化考慮」
「当時の報道、おわびします ゼネラルエディター兼東京本社編集局長 春日芳晃」

 一面のリード文は以下のようでした。
 1968年に静岡県のみそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)に対し、再審(やり直し裁判)で無罪を言い渡した9月26日の静岡地裁の判決について、最高検は8日、控訴しないと発表した。検察トップの検事総長談話も出し、証拠捏造を認めた判決に「強い不満」を表明しつつ、袴田さんの最新手続きが長引き法的に不安定な状況に置かれたことなどを「申し訳なく思う」と謝罪した。

 袴田さんが逮捕された1966年、私は12歳の小学校6年生です。現在70歳の私の年齢までの58年間無実の罪を着せられてどのような辛い人生であったか想像を絶するものであったと思われます。私の12歳から70歳の人生と比べると胸が締め付けられる気持ちになります。この間、袴田さんの弁護士さんや支持者の方々の苦労も計り知れないものがあったと思われます。最新の科学の力で「冤罪」という恐ろしさを回避できたのかもしれません。

『朝日新聞』一面では、「当時の報道、おわびします ゼネラルエディター兼東京本社編集局長 春日芳晃」という見出しで、次のように書かれています。

 再審を経て、いったん死刑囚となった袴田巌さんの無罪が確定します。無実の人を死刑にしていたかもしれないことの重大性を改めて痛切に感じます。
 袴田さんが逮捕された1966年当時、朝日新聞は犯人視して報道していました。逮捕当初は「葬儀にも参列 顔色も変えず」といった見出しで伝え、「自白」した際には「検察側の追及をふてぶてしい態度ではねつけてきていたが、ついに自供した」とも書いています。明らかに人権感覚を欠いていました。こうして報道した袴田さんやご家族を苦しめたことは慚愧に堪えません。袴田さん、ご家族、関係者のみなさまに心からおわびいたします。
 事件報道は世の中の関心に応え、より安全な社会を作っていくために必要だと考えています。ただ、発生や逮捕の時点では情報が少なく、捜査当局の情報に偏りがちです。これまでにも捜査側の情報に依存して事実関係を誤り、人権を傷つけた苦い経験があります。
 こうした反省に立ち、朝日新聞は80年代から事件報道の見直しを進めてきました。推定無罪の原則を念頭に、捜査当局の情報を断定的に報じない、容疑者弁護側の主張をできるだけ対等に報じる、否認している場合は目立つように伝えるなどと社内方針で取り決めています。
 科学捜査が大きく進歩したとはいえ、供述頼みや見込み捜査による冤罪は今もありますし、今後も起こり得ます。捜査や司法をチェックする視点を忘れず、取材、報道を続けてまいります。

 二面には次のような見出しの記事が掲載されました。
 「検察『妥協』の控訴断念」
 「再審判決に『疑念』『承服できない』」
 「異例の総長談話 地裁批判」
 「問われる『捏造捜査』」

 そのリード文には次のように書かれていました。
 
 袴田巌さん(88)が、死刑囚の立場から半世紀ぶりに解放される。無罪とした静岡地裁の再審判決に対し、検察当局は「強い不満」を表明しつつ、控訴しないと発表した。数々の問題が指摘された捜査や裁判は、どこまで検証されるのか。

 記事の冒頭を見てみます。

「強い疑念を抱かざるを得ません」「到底承服できない」
8日午後5時すぎ、検察トップの畝本直美・検事総長が出した異例の談話。結論は「控訴しない」としつつ、文面の多くを占めたのは静岡地裁の無罪判決に対する批判だった。
 なかでも「具体的な証拠や根拠が示されていない」と強い不満をあらわしたのは判決が認定した「捜査機関による証拠捏造」だ。

 私もこの検事総長の談話にはびっくりしました。味噌樽に入っていた袴田巌さんの下着はどうみても「捜査機関による証拠捏造」しか考えられないのではないでしょうか。この検事総長の談話が問題にならないのでしょうか。

 私も司法には関心があり、東京地方裁判所に裁判を傍聴しに行くことがあります。決して興味本位ではなく司法の実状を自分なりに検証していくことにあります。ある時、反社会勢力に関する裁判を傍聴していて、気が付いたら周りに座っている人がほとんどその関係者と思われる状態でした。少し、驚きましたが最後の判決まで傍聴しました。
 特に、冤罪と思われる裁判については特に注視していきたいと思います。

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