No.163 1993年 北京のフィールドワーク
1993年の12月下旬、冬休みを利用して中国・北京のフィールドワークを行いました。日本と歴史的な繋がりが最も深い国を訪ねる初めての経験でした。今から約30年前の中国で現在のような経済成長が目覚ましい国の姿ではありませんでしたが、市民のエネルギーはとても強いことを感じました。当時韓国と同様に「近くて遠い国」と考えられていた中国のフィールドワークを通して異文化理解の重要性を認識しました。今回は北京の街の様子をご紹介し、その続編として後のエッセーで北京市内の2つの学校の様子をご紹介します。今回のフィールドワークには、異文化理解と共に数年後発行される小学校社会科の教科書で北京の学校の様子を記述するという目的もありました。北京の街を歩きながら多様な異文化理解を得ることができました。
1993年当時、確か1ドルは100円ぐらいの円高でしたので、海外に行くには都合が良かったです。北京現地でお世話下さった通訳と車の運転手さんにお支払いする額もそれほど高くはありませんでした。
冒頭の写真は北京市内のマクドナルドの店内です。北京に進出した第一号店と聞いていました。外国人のお客さんが多かった印象が残っています。
北京のマクドナルドのメニューです。マクドナルドは中国表記だと「麦当劳」になります。
ちなみに、メニューにあるビッグマックは「巨无霸」と表記されます。コカ・コーラは「可口可乐」と表記されます。
天安門です。1989年6月4日、北京市内にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に、軍隊が武力行使し多数の死傷者を出した事件の現場です。
広場の警備はとても厳しかったです。
天安門事件
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
天安門から広場を撮影してみました。
天安門でも警備の人が強風の寒さの中、何mおきかに立っていて監視していました。
北京郊外の万里の長城です。ユネスコの世界文化遺産に登録されている中国に存在する城壁の遺跡です。現存する城壁の長さは6259.6 ㎞とされています。
万里の長城
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E9%87%8C%E3%81%AE%E9%95%B7%E5%9F%8E
北京の街を歩いてみました。
クリスマスの準備をしていました。
朝の通勤風景です。
当時は最寄りの駅まで多くの方が自転車に乗っていました。
バスや地下鉄での通勤風景です。
お店の風景です。
肉屋さんと自転車で朝食を売りに来ている路上販売のお店がありました。
当時中国はまだ「一人っ子政策」が行われていました。親が子どもを可愛がっている姿がよく見られました。
次の写真の子どもの顔にある黄色のものは何だと思いますか。
北京の冬の風は冷たいです。子どもの顔に風が直接当たらないように、細かなネットで覆われているのです。子どもはどこでも大切にされていました。
今回の北京のフィールドワークを調整して下さった旅行会社のご家族の家を訪問しました。配偶者の方は女医さんで、お子さんが一人いらっしゃいました。夫が旅行会社勤務に妻が女医さん、日本では優雅な暮らしができるのではと考えていましたが、当時の社会主義中国政府の方針はそうではなかったようで、質素な暮らしをなさっていらっしゃいました。労働者の賃金は職種によって大きな差がないようでした。経済的には資本主義を取り入れた現代中国の格差社会とは大きく異なっていました。
ご家族と一緒に近くのレストランで食事をしました。肉や海鮮を鍋に入れての料理でした。
当時の中国の物価はとても安く、学校訪問後に中華レストランで私と通訳さんと運転手さんで北京ダックをたくさん食べました。飲み物も含めてみんな合わせて日本円で数千円の支払いですみました。
おいしい本場の中華料理をいただきました。但し、ラーメンは日本の方が美味しかった記憶が残っています。