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No.63 2023年3月28日 「坂本龍一氏力尽く」

 日刊スポーツの一面に逝去された坂本龍一氏について次のような文章が掲載されていました。
 「坂本龍一(さかもと・りゅういち)1952年(昭和27)1月17日、東京都中野区生まれ。音楽家、俳優。78年テクノバンド『イエローマジック・オーケストラ(YMO)』を結成。『戦場のメリークリスマス』『ラストエンペラー』など映画音楽でも知られ、米アカデミー作曲賞受賞。地球温暖化を危惧し2007年に森林保全団体『モア・トゥリーズ』を設立。国内外で間伐・植林の他、東日本大震災の被災地で地元木材を使った仮設住宅の建設支援を行ってきた。前妻のミュージシャン矢野顕子との間に長女の歌手坂本美雨。」
 「社会貢献活動にも力を入れ、東日本大震災復興支援のために、被災した岩手、宮城、福島、の学生の楽団『東北ユースオーケストラ』を13年に立ち上げた。3月には東京都の小池百合子知事らに、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を送っていた。反戦の立場も明確に打ち出した。昨年の東北ユースオーケストラ東京公演では「3・11とともにウクライナのことを思い浮かべちゃう。自然災害と戦争は違う…でも、鎮魂という意味では共通。失ったものに対する懐かしさ、鎮魂は音楽を作る人間の心の根っこにある」と、ロシアのウクライナ侵攻について言及した。今年の公演は配信で見守った。東京終演後、病床に伏した中、最後の力を振り絞ったであろう『Supero!Bravissimo(拍手×5)素晴らしかったよ!!よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れさまでした♪』が最後のメッセージとなった。」
 
 
 
3月28日に坂本龍一氏が逝去されたことを一面で報じた4月3日のスポーツ紙は次のようでした。


「スポーツ報知」2023年4月3日より


「サンケイスポーツ」2023年4月3日より


「日刊スポーツ」2023年4月3日より


「スポーツニッポン」2023年4月3日より

 この4紙で異色な構成をしていたのが「スポーツニッポン」でした。「つらい。もう逝かせてくれ」と家族や医師に漏らしたという言葉を中央に配置しています。一面の記事にも「特にここ半年は壮絶な闘病だった。亡くなる1、2日前には家族や医師に『つらい。もう逝かせてくれ』と頼み込むほど。関係者は『弱音を吐かなかった彼がそんなことを言うとは…。よほど苦しかったのだろう』と思いやった。」と書かれています。関係者への取材ができての記事でしょう。
 坂本龍一氏の壮絶な闘病のようすが読者の心に響きます。私はこの紙面を読んで涙が止まりませんでした。
 
 私は坂本龍一氏のことをよく知っている人間ではありません。特にテクノバンド「イエローマジック・オーケストラ」に関しては全く無知です。映画好きのため「戦場のメリークリスマス」と「ラストエンペラー」の音楽を坂本龍一氏が担当され、俳優として出演していたことはもちろん知っていました。どちらの音楽も演技もとても素敵でした。それぞれ3回観ました。1988年4月、映画「ラストエンペラー」で日本人初の米国アカデミー作曲賞を受賞されました。

 「ラストエンペラー」と「戦場のメリークリスマス」の坂本龍一氏担当楽曲特別コラボ動画をYouTubeで観ることができます。
https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%9d%82%e6%9c%ac%e9%be%8d%e4%b8%80%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%83%88%e3%82%a8%e3%83%b3%e3%83%9a%e3%83%a9%e3%83%bc%e9%9f%b3%e6%a5%bd&docid=603546040165690116&mid=F78ECA23F7F2A0C0679FF78ECA23F7F2A0C0679F&view=detail&FORM=VIRE

 それぞれの映画については以下のホームページを参照して下さい。
ラストエンペラー
https://eiga.com/movie/31401/
戦場のメリークリスマス
https://eiga.com/movie/17648/
 
 個人的なことになりますが、坂本龍一氏の誕生日は1月17日です。その日は私の娘の誕生日でもあります。1995年1月17日には阪神・淡路大震災が起こっています。「東北ユースオーケストラ」は東日本大震災復興支援のため2013年に立ち上げられましたが、東日本大震災が起こったのは2011年3月11日です。3月11日は私の孫の誕生日です。ですから2013年以降特に坂本龍一氏の社会貢献活動や反戦活動には関心を持ち続けていました。日本の芸能界の方では社会に発言していく数少ない存在として見守ってきました。
 私がよく行っていた東横線沿線のある九州料理の居酒屋さんでは、そのお店の主人と坂本龍一氏が一緒に写っている写真が壁にかかっていました。ご病気になる前のことでしょうか、たまに店を訪ねていらっしゃるようでした。
 
 坂本龍一氏の著作『音楽は自由にする』(新潮社、2009年)の文庫版が逝去後に出版されました。坂本龍一氏は1952年1月17日生まれですので、1954年7月生まれの私より学年で3学年上になります。私が中学1年の時には高校1年、私が高校1年の時には大学1年と当時の時代背景に違いが見られたと思います。私は中学や高校時代にこの3年先の先輩たちはどのように社会が見えていたのかとても気になっていました。なんとなく分かっていたのが高校や大学で学生運動が見えていたかいなかったかということです。そして私が全く無知な音楽活動がどのように展開されていたのかとても関心がありました。さらにもう一つ、エッセーとして自分の生きてきたことを綴ることをしている私にとって「自伝」というジャンルをどのように捉えていけばいいのかのヒントを提供していただけるのではという気持ちもあります。

 坂本龍一氏が高校1年の時の記述に「68年1月のエンプラとか、その年の10・21の新宿駅。それから、69年1月18日、19日の東大安田講堂。あの2日間は本郷からお茶の水まで、まるで戦場のような路上を走り回ってました。」とあります。私が中学2年から3年の時ですから、それぞれの出来事はテレビで見たり新聞で読んだりして知っていましたが、深い背景は理解できていませんでした。


坂本龍一氏著『音楽は自由にする』より

 たまたま、このエッセーを書いている合間に、NHKBS1で「医師 中村哲73年の歴史」の再放送(2023年4月22日、8時45分~10時半)を観ていました。その中で日本の医師でパキスタンやアフガニスタンで医療活動に携わり、アフガニスタンで用水路を建設し農業の基盤を作るも2019年車で移動中銃撃により死亡した中村哲氏(1946年9月15日~2019年12月4日)が九州大学医学部に在学中、米軍佐世保基地に寄港した米軍エンタープライズ対する反対運動に参加していたことが分かりました。坂本龍一氏は高校生、中村哲氏は大学生の時にエンタープライズの反対運動に参加していて、その後それぞれ別の道に進むことになります。
 中学生時代の私が高校生や大学生はすごい大人だなと感じていたのは、社会に関心をもつ高校生や大学生が普通にいたことなのでしょうね。
 
 『音楽は自由にする』の「あとがき」で「ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まず親であり、親の親でもあり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そしてなんの因果か、ぼくの家族となってくれた者たちやパートナーだ。それらの人々が57年間(2009年時―筆者注)、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている。」という文章は、さすが芸術家の表現で現在68歳の私も全く同感なのです。坂本龍一氏を巡る旅をこれからも続けていくつもりです。
 
 これで原稿は終了予定でしたが、直後に鑑賞した映画への思いとスーダンでの邦人の救出(不明確な状況ですが)を追記します。
アマゾンプライムで韓国映画「ノーザン・リミット・ライン 南北海戦」を観ました。その解説には「2002年日韓サッカーW杯歓喜の裏で、命をかけた男たちがいた-南北境界線で起こった衝撃の〈実話〉を描く、海洋戦争アクション!!“海上の38度線”での〈実話〉を描く戦闘アクション巨編!」とありました。「海洋戦争アクション」「戦闘アクション」という言葉には抵抗がありましたが、観ることにしました。
 実話に基づく映画ですので、2002年日韓W杯や亡くなった韓国兵士の葬儀の映像などが挿入されていました。
ノーザン・リミット・ライン 南北海戦
https://eiga.com/movie/83943/
 
 実はその時期私はソウルに数日滞在していました。NIEで1996年から日韓交流をしていた小学校教師、李貞均(イ・ジョンキュン)氏の招きにより、38度線に近い坡州(パジュ)の公立汶山(ムンサン)初等学校で授業をしたり、南陽卅(ナンヤンチュ)の家庭を訪問したりしました。さらに、 ソウルの図書館での学習会やW杯応援の様子を見学して、ベスト8の韓国対スペインでの試合をソウル市庁舎周辺での埋め尽くすような応援を高層階から眺めながらテレビで観戦していました。PKで韓国がスペインに勝利した瞬間の盛り上がりは凄まじい程でした。そのようすは映画でも出てきました。1989年には北緯38度にある板門店(パンムンジョム)を訪ねています。しかし、この日韓W杯開催時の「海上の38度線」での韓国と北朝鮮との海洋での銃撃戦は全く知らなかったのです。朝鮮半島の歴史や現状には常に関心を持っていたつもりでしたが。
 2023年4月23日現在スーダンで軍と民兵組織の権力争いによる内戦が起こっています。日本人60人が現地で医療や教育の支援をしていますが、この人たちをどのように救出するのか不明確です。今後どうなるのでしょうか。
 坂本龍一氏のような「平和」「反戦」という明確な意識が私には欠けていたのです。これからはこの課題をさらに真剣に追い求めようと考えました。    

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