No.201 2024年は私にとって思い出に残る豊かな年 「ニューセブンティ」「幸齢者」の意識でよーいドン
2024年1月1日の能登半島地震はとても大きな被害をもたらし、多くの方々に影響を与えました。復興もまだ十分達成されていません。これからも国民の一人として何ができるかを継続して考え、できることを実行していければと考えています。このことは今後長く持ち続けていくつもりです。
能登半島地震の災害を心に留めながらですが、私個人として、2024年は私の70年の歴史の中で、思い出に残る1年であったと感じています。
就職できた年、結婚した年、子どもができた年、孫ができた年など勿論思い出の年は他にもありますが、人生を総合して判断すると2024年は個人的にはとても素敵な年でした。私が過ごしてきた歴史や嬉しい出来事に関係していることが多かった年と言えるのかもしれません。70歳になって「思い出に残る豊かな年」とはとても嬉しいし贅沢なことなのかもしれません。
1月2日に私の家族10人がコロナ禍後で初めて揃い楽しいお正月になりました。子ども3人、孫3人もとても元気で嬉しかったです。
1月2日~3日に東京箱根間往復大学駅伝競走が100回目を迎えました。卒業した青山学院大学が優勝しました。戦前・戦後で4回中止になっているので、第1回の開催は1920年です。その年に私の父・母が生まれています。
私が生まれ育った川崎市の市制開始が1924年7月1日で、2024年は市制100年を迎えました。川崎市立古市場小学校、川崎市立平間中学校ではとても楽しい経験をさせて頂きました。
双子の兄姉は2024年2月に喜寿を迎えました。
私が生まれたのは1954年7月4日で、2024年7月4日に古希を迎えました。
その古希を迎えた日に『ある私立小学校教師 実践・研究の足跡―聖心女子学院初等科39年とその前後―』を出版することができました。現在のメンターの川田龍哉氏に大変お世話になりました。
私が小学校4年生の時兄に連れられ東京オリンピックのホッケー競技を観戦したのが1964年で2024年は60年になります。
私の人生で最もお世話になったメンターの古銭良一郎先生に出会ったのが1974年で2024年は50年になります。
私が39年間勤務した聖心女子学院初等科の学校5日制が始まったのが1974年で2024年は50年になります。日本でおそらく最も早い時期に始まった学校5日制のおかげで教師として実践や研究に多くの時間を費やすことができました。
私が初めて古銭先生との共著『小学校 社会科の内容と方法』(青学出版)を出版したのは1984年で、2024年は40年になります。
2007年7月7日に中学校の同窓会で再会し、その後仲間として活動してきた「プチ同窓会」の多くの友だちと、7月6日「川崎市制100年 平間中学校8期生古希同窓会」を開催することができました。
聖心女子学院初等科の教え子たちが、コロナ禍で中断していた会合を10月に再開。4つの学年の方々が集まり「古希と出版」のお祝いをして下さいました。
この時プレゼントされたオリジナルのパーカーとロサンゼルス・ドジャース公式のキャップを身につけて稲村ケ崎のレストラン「ヴィーナスカフェ」に妻と食事に行きました。その食事中に、ロサンゼルス・ドジャースがワールドシリーズを制覇する結果が届きました。
日本のプロ野球ではDeNA横浜ベイスターズが日本シリーズでソフトバングを破り下剋上での日本一になりました。ベイスターズの前身は大洋ホエールズで川崎球場が本拠地で、子どものころからファンでよくホエールズの試合を見に行きました。1960年に日本一になり、その後横浜スタジアムに本拠地を移し1998年横浜ベイスターズで日本一になりました。そして2024年にはDeNA横浜ベイスターズで3回目の日本一になったのです。
大学野球では青山学院大学が4冠(春・秋リーグ戦、大学野球選手権、明治神宮野球大会)になり、高校野球では神奈川の応援している横浜高校が明治神宮大会で優勝しました。ロサンゼルス・ドジャース、DeNA横浜ベイスターズ、青山学院大学、横浜高校、それぞれのキャップは青が基調になっています。
それで、12月7日の中学の「プチ同窓忘年会」では青のキャップとパーカーを身につけて参加しました。
我が家で飼っている2匹のドジョウは2014年8月に来ました。2024年7月に10年一緒にいることになりました。現在11年目ですが、すごく元気です。人間の歳と比べても私より長生きしている計算になります。
2024年も例年通り各地を訪ねることができました。
熱海3回、箱根2回、西伊豆、諏訪湖周辺、磐梯熱海・会津若松、三浦半島・葉山、霧積高原・軽井沢、足尾銅山・足尾温泉・桐生など温泉もバッチリ。残念だったのは予定していた上高地がのろのろ台風の影響で中止になったことでした。代わりの熱海では久しぶりの熱海城と錦ヶ浦に初めて行きました。
2024年、私の好きな女優高峰秀子さんが生誕100年を迎えました。「二十四の瞳」「浮雲」「稲妻」「カルメン故郷に帰る」「喜びも悲しみも幾歳月」「笛吹川」「名もなく貧しく美しく」などの作品での演技に驚きました。
身近で食べていたものの中に、私と一緒に2024年70年を迎えたものもあります。
子どもの頃よく食べたインスタントラーメンの「サッポロ一番」と現在でもよく食べる崎陽軒の「シウマイ弁当」です。
これも子どもの頃よく食べた「かっぱえびせん」は60年の還暦でした。
私が生まれた1954年の世の中の最大のニュースは、3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で日本人に死者がでたことでしょう。水爆実験「ブラボー」の強い放射能を帯びた「死の灰」が降り注ぎ、公海上で操業中であった遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(静岡県焼津市)の乗組員23人が被ばくし、無線長の久保山愛吉さん(40)が半年後に亡くなりました。人類初の水爆犠牲者になったのでした。
2024年ノーベル平和賞を受賞した「日本原水爆被害者団体協議会」はこの「第五福竜丸事件」がきっかけでできたとされています。
現在「第五福竜丸」は東京の夢の島の展示館で保存されています。2度見学した経験がありますが、2024年12月に行く予定です。被爆した「第五福竜丸」は私と同じ70年の歴史を歩んできたのです。
2024年は私にとって「今までの人生で最も思い出に残る豊かな年」かもしれません。能登半島地震での被害者、被爆した方々などのことも常に心に留めておきます。
これからも「ニューセブンティ」「幸齢者」の意識で、よーいドン。