受験戦争に敗北した日の話

皆様こんばんは。そしてかなりお久しぶりです。ばんざいぺしこです。
定期投稿したいとか言っておいて半年以上投稿しないとは何事だとお思いでしょう。
本人が一番そう思っております。(本当に申し訳ありません。)

今回は、受験が終わったので私の受験紀を語っていこうかなと思います。


受験戦争の始まり

私が受験を意識し始めたのは、大体4月頃です。私の住んでいる地域では、模試?のようなものがあり、それがきっかけでした。
ですが、そこで止まってしまったのです。意識し始めただけで何も対策をしなかったのです。
理由としては、
・最初の模試の結果がそれなりに良かったから。

・まだまだ遠い日の話に思えたから。

一つ目
当時の模試の結果が、五教科57くらいだったのです。4月最初の結果にしてはよかったらしく、親からも一定の評価を頂きました。
そのため、「大丈夫だ」と完全に舐めてかかったのです。

二つ目
受験は大体1月から2月頃です。そのためあと1年近くあると思い、まだ大丈夫だと思っていました。

ここで危機感を持てばまだ挽回できたでしょう。

6,7月の模試でも僅かに下がったものの、大差ない偏差値が帰ってきました。
これが油断の元凶です。

没落の始まり

9月の模試で一気に下がりました。57くらいあったのが54になったのです。過去の記憶をたどりながら書いているので、少し数値が違うかもしれませんが、このあたりで一気に落ちました。
よくよく調べてみると、私の点数はほとんど変わっていませんでした。
そのため、周りのみんなが努力をしていたからだろうと思います。

完全な没落

10月の模試でも挽回できず、伸び悩んでいました。
これの理由は、私の危機感のなさと、自分に対する甘えです。

11月の模試は、コロナで38度の熱を出して寝込んでしまったため結果が出ませんでした。

希望の転換点

私にとって少しの希望が見えたのは12月の模試でした。
そこで、三教科偏差値過去最高、五教科偏差値も4月の水準を取り戻したのです。
ですが、そこでまた油断してしまいました。上がったことでまた油断をし、勉強に身が入らなくなってしまったのです。

最期の打開

冬休みに入り、本格的に後がなくなりました。
冬休み最初の数日は、塾の合宿に行っていたので、一定以上勉強ができていました。
帰ってからも同じペースで勉強を続けていればまだよかったのです。
当然やるわけがありません。

入試本番

4回ほど入試があったので、それぞれ書いていきます。

一回目
最初は、滑り止めの私立でした。滑り止めでさえ、偏差値的には少しレベルが高かったのですが、運よく合格の確約を頂けたのです。結果的に確約を頂いたコースで合格しました。

二回目
次が、私にとっての第一志望校であり人生を左右する試験でした。
結果的には落ちました。
この時ばかりは、本当に死のうと思いました。
それについては、詳細を別Noteにまとめます。

三回目
二回目に受けた学校の後期入試でした。
前期よりは希望があると思っていましたが、結果的に惨敗しました。

四回目
最後は、公立高校の入試です。確約を頂いた学校があったので、少し高レベルなところに挑戦しました。まぁ当然のごとく落ちたわけですが。

とまぁこんな感じで私の悪夢と絶望にまみれた受験期でした。
今でも死にたいと思うことはあります。
ですが、進学先の高校はありますし、こうして文字に起こせる程度には落ち着きました。
はっきり言ってここからよい人生にすることは不可能だと思っています。
最悪な人生をまだましな人生に変えるのが関の山でしょう。
何かしら生きる理由がある限りは、こうしてnoteに私の記録を書いていくでしょうし、何か違う活動もやっていることでしょう。

最後に

こうして執筆?してみましたが、楽しいものですね。プロの方と比べたら、全然良いものではないかと思いますが、書いている当人は楽しいものです。
この楽しさを忘れない限りは、不定期ながら投稿し続けることでしょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

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