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ウォールデン ソローが住んだ、あの場所で釣りをした

深夜なにげなくテレビのスイッチをつけると、きれいな湖の畔を歩く作家のC.W.ニコル氏の姿が映し出された。一四歳のときにヘンリー・デビッド・ソローの『ウォールデン』を読んだニコル氏が長年の憧憬を抱き続けるかの地を訪れる企画のようだった。その湖はウォールデンの池だった。ニコル氏にとって『ウォールデン』との出会いは北極探検やアフリカでの国立公園の設立等、その後の人生の原点だったようだ。本当に一四歳のニコル少年はソローと『ウォールデン』にインスパイアされたらしいのだ。

今さら説明するまでもなくソローは『ウォールデン』の著者として知られている。ソローは今から一五〇年ほど前にボストン郊外のウォールデンの森で自給自足の生活を始めた。その二年間の生活のことを書いた本が『ウォールデン』だ。この本は今の環境運動へとつながる大きな流れの原点のような本と位置づけられている。
またソローは環境運動の先駆的な役割だけでなく、強硬な人種差別反対論者であったことが知られている。そのために拘置所に一晩ぶち込まれたこともある。理由は納税拒否。彼は奴隷制度に使われる税金なぞ払わないと納税拒否をしたのだ。その著書『市民の反抗』ハマハトマ・ガンジーやキング牧師の非暴力の運動に大きな影響をあたえたということらしい。
ソローはナチュラリストという言葉のもつ甘い雰囲気とは無縁の筋金入りの男だったことが伺い知れる。

ウォールデンの森はボストンの中心から2号線を西に車を走らせ、Walden Pond という小さな看板目印にすぐに着いた。
ボストンに留学中の友人にはウォールデンの池についての情報収集を依頼しておいた。ナチュラリストでもましてはフライフィッシャーでもない友人は池の場所も名前も、もちろんソローの名前も知らなかった。
フライフィッシャーとしても学生に知られた老教授は、地図のコピーで池の場所を友人に教えながら「今はすっかり観光地になって行けばきっと失望するよ」と言ったそうだ。
テレビで見たとおり、州立公園にもなっているウォールデンの池はたいした賑わいだった。ピクニックを楽しむ人、日光浴をしている人、そして釣り人。舗装された車道と鉄道に挟まれた池はゆっくり回っても一時間あれば一周できそうだば大きさの小さな池だった。
『ウォールデン』を読んでその深山幽谷的なイメージを持ち込もうとは思わない方がいい。ボストンの中心地からたったの三〇分の距離なのだから。
鱒をねらってトラウト・アンリミテッドの『マサチューセッツの鱒釣り場案内』がすすめる線路下で三時間ほどねばったが何も釣れなかった。
五月というのはなぜかあまりいい季節ではないらしい。でも気分は悪くなかった。水は大都会の郊外とは思えないほど冷たくて澄んでいたし生活排水が入っている様子もなかった。水の透明度はソローが生活をしていた頃と変わりがないようだった。菜食主義者のソローは友人が遊びにくると池で魚を釣ってふるまったという。
その釣り場案内には、氷が溶けた直後にドライフライで釣れたことがあると書いてあった。

テレビ番組の終わりにニコル氏は数年前に中学三年生の男の子からもらった苦情の手紙を紹介した。その内容は「あなたは黒姫の森が世界で一番美しい森だというけどそれは嘘だ。世界で一番美しい森は自分の家の近くの森だ」というものだった。ニコル氏はうれしかったという。すぐに返事を書いた。
「そうです、あなたの森が世界で一番なのです。だからあなたの世界一の森をこれからも守ってください」と。
「もしあなたの大切な森が壊されてしまったら、それはあなたの愛が足りなかったのではないでしょうか。今度はあなたのウォールデンの森を見せてください」

という言葉で番組は締めくくられた。ただ釣れるという情報があれば釣り場を選ばない浮気なアーバンフィッシャーには頭の痛い言葉ではある。

フライの雑誌33号 1996年早春号

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