ギターが好きだ
ギターという楽器が好きです。
自己紹介がてら、自分を振り返りつつ、できるだけ思いついた順にノーカットで、みたいな裏テーマを設定しているので、ギターを買う経緯とかから書くことになりそうだけど、長くなりそうだなあ。どう好きなのかとか、本題がすごく遠くなりそうな気がしている。
初めてギターを手にしたのは、高校2年生の夏、だった気がする。
アコースティックギター。アコギ。2万円ぐらいの初心者セット。ネックはザラザラしていて、あまり音も良くない。
後にエレキギターを買うつもりで、アコギを先に買い、練習する。初心者にはしんどい方を選んでやれ、と思って買った。そういう、いつもの捻くれ。
中2から女手一つで育ててくれた母が、アコギを持っていた。いろいろあって連絡を全くとっていなくて今どこで何をしているかも知らない父も、アコギを持っていた。エレキ、多分そこそこいい感じのストラトも持っていた。
もう使わないだろうということで、おそらく両親が離婚したタイミングで、3本とも家から消えた。捨てたのか売ったのかは知らない。
もったいない。
その3年後、僕はギターを買うことにした。母に言われるまで、以前家にギターがあったことなんて忘れていたけれど。
そもそもなんでギターを買ったのか、きっかけはあまり覚えていない。
高校に入ってからアニメやラノベ漬けだった僕は、某軽音部アニメやらを理由にギターを買ったと思われたくなかったことは覚えている。
だからまずアコギを買ったりしたのかな。そういう奴だ。僕は。
聴いてきた音楽については別の記事でちゃんと書くつもりにしているけれど、確か、流行り物が嫌いで尖っていた僕は中学からラップ・ヒップホップばかり聴いて、その流れでDragon Ashというバンドに辿り着いたころだったかもしれないな、と、書きながら思い出した。
忘れていること、多いな。アウトプットは大切だ。
閑話休題。
後に、本命(笑)であるエレキギターを買って、教室の隅にいるタイプの、ペンギン村の仲間たちと、文化祭に出ることになる。
高校入学当初から「イタい奴」を演出して、空気感を変な感じにして、周囲から距離を取ろうとしていた僕には、屁でもなかった。
今思い返せばやめときゃよかったのに、と。でも、「バンド」が楽しかったから、大学で軽音サークルに入ることになるのだが。
高校3年生の人生初ステージは、「有志」が出るような、体育館にちっさいちっさいアンプを並べて、そのアンプの音をマイクで拾うわけでもないから音量的にドラムがなんだか遠くて。よく考えたらクソ笑う。当時は広々使えんなあなんて思っていたんじゃないかな。
アジカンの曲を2曲やった。僕がギターボーカルで。懐かしい。
で、大学に入り、軽音サークルに入る。先輩方の9割と「合わなくて」、半年で辞めることになる。
軽音サークルには、ベースとして入ったのだけれど。
は?
なんとなく、「ミュージシャン」「バンドマン」「作曲家」に憧れていたので、ベースのことを勉強しようという、変な考え。
結果的に、友人の音楽活動を手伝っている今、役に立つことになる。
天才的な勘。10年も後に活きるとはさすがに思わなかったが。
そのサークルで出会った友人たちといろいろバンドをやった。
コピーバンドだけじゃなくて、オリジナルもやった。僕はそのバンドでは曲を作らなかったけど。
ボーカルが2人いた。ギターボーカルとベースボーカルがいて、それぞれが作った曲をそれぞれで歌う、おもしろいバンドだった。そのバンドをやっていた時が、1番、ギターが上手かった。1番ギターを弾きまくっていた時期だ。
今、音楽活動を手伝っている友人も、そのサークルで出会った。半分。もう半分は同じ学科の仲いい子が入るって言ったから入ったテニスサークル。高校の時テニスしてたけど。
話がすぐに飛ぶ。
そろそろ思い出はこれぐらい。現状の話。
詳細はまた「プロジェクト(かっこいいので使いたい言葉)」が進んだら別で書こうと思うが、ここまでに既に出ている「友人の音楽活動を手伝う」ために、今、再度、ちゃんと、ギターを弾いている。
大学院を出てからは週1回とか月1回とかしか触っていなかったけど。
ギターでしか作曲できないし。ピアノやってたかった。
久々にちゃんと触ったギターは、弦も錆びて手垢やらなんやらでお世辞にも綺麗とは言えなかった。
自分自身に落胆した。そこそこの生活を、人並みに、普通に暮らすという見栄のために、時間がないとか言いながら、あんなに愛したものを、身近に置いていながら手放してしまっていた。と思う。
きっかけをくれてよかったと思う。大袈裟に言えば人生を変えてくれたものに再度向き合うことができて、友人には感謝している。歌の練習しろ。
前フリ無しで話題をぶん投げる。
ギターという楽器は、シンプルだ。
めちゃくちゃ上手くなるのはめちゃくちゃ難しいけど、ちょっと上手くなるにはちょっとの努力で済む。
僕は、昔、ちょっと上手かった。今は、弾けるだけ。もう上手くはない。練習が足りない。反省。
楽譜はいらない。数字が6本の弦に合わせて書いてあるだけのものでいい。
面倒くさい転調だってフレット1つずらせばいい。
「ここでギューンと鳴れ!」って弾くと、「ギューン!」と返してくれる。
楽譜がほぼ読めない僕にとっては、最強の作曲ツールだ。
シンプルなのに、ある種、無限の沼がある。
わかりやすく、技術はそう。上手くなれど、できることが増えれど、また次の課題が出てくる。
音作りなんかもそうだ。沼。実は僕が1番好きな部分。いい音だと思って録って、寝かしてから聴いたら地獄、みたいなことが死ぬほどある。
大学1年生の冬、マルチエフェクターを買った。ステージで使えるように、BOSSのGT-10を選んだ。
毎晩毎晩、GT-10で遊んだ。音色を変えると、弾きたいフレーズが変わる。当然なのだが。
あの音はどうしてる?あのギタリストはどんなセッティングで?めちゃくちゃ研究しては、マルチの歪みの限界に泣いた。ペラいんだもの。
この、マルチエフェクター遊びが、僕の「作曲」の原体験のようなものだと思う。
モノの構成とか構造とか組み立て方とかが小さい頃から好きだった僕は、バンドマンのエフェクターボードを眺めるのが好きだった。
そういうムック本、買った気がする。
でも、自分でボードを組むようなお金はなかったから、マルチエフェクターで、代用するのだ。配線とか考えなくていいから便利だった。
こういう、ある意味でのオタク気質というか、そういった部分を持っていることには感謝したい。自分自身に。
たぶん、面倒だ、と思う人も多いのではないだろうか。
エフェクターボードが面倒くさい人ならそれ以前にギターの練習が面倒くさいから、エフェクター云々に至らずしてギターやめてそう。
こういう、「たぶん間違ってない偏見」に名前をつけたい。
スポーツが、苦手だった。
反復横跳びと1500m走だけが良くて、他は全くダメ。運動神経が悪く、野球やらテニスやらやったが全くダメ。
特に中学。野球部。根暗というだけで空気を悪くして、その上でプレーも下手で空気を悪くする、辛かったなあ。
辞めるという選択肢が無かったのは何故だろうな。たぶん、親やら教師やらに「ポーズ」をとっていたのだと思う。勝手に部活に入っておいてなんだが、地獄だった。申し訳なさもある。入らなければよかったし、せめてさっさと辞めておけばよかった。
勉強も、世間一般から見れば得意な方だったが、嫌いで、苦手だった。
要領が悪い。記憶力は絶望的。高校生になって入った塾、たまたま当時の友人に誘われて入った(中学の同級生がいっぱいいてうんざりした)けれど、その塾でなければレベルはもっと下だった。自分で努力できるタイプではなかったから、要領を教えてくれる塾だったおかげでたまたまギリギリなんとかなっただけだ。
初めて、打てば響いてくれたのがギターだった。
当時は友達もいない。
当時から知り合っている友達も、僕自身が友達と認識できたのは大学になって「人生」が始まってからだった。
僕がこうしたい、に応えてくれる。こっちがミスれば不機嫌になる。愛を込めて磨いて弦を替えてやれば、元気な音になる。一人一人癖がある。
愛せば愛してくれる。愛し方もシンプルだ。構えればなんとなくかっこよくなる。スポーツでは運動神経が悪すぎて発揮されなかったリズム感も、活かせる。(ドラムは断念)
初めて、僕が、「人前で『これをやっています』と胸を張れる」存在。
それがギターだった。
たぶん、たまたま。