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感情と理屈の相容れなさ

人と関わる上で「感情」の話なのか「理屈」の話なのかっていう切り分けは、本当に大事なんだ。 理屈が感情のトラブルを解決することはあるけど、理屈を求めてない相手に理屈をぶつけたって、しょうがない。 構築談義みたいな、理屈の話に「自分はこれが好きで」みたいな感情を持ち込まれたって困る。

自分はTCGが好きなので、TCGのデッキ作成を例に挙げるが、「こういう構築がどうも気に入らないんだけど、どういう意図で使ってるのかな?」なら分かり合える余地はあるけど 「こういう構築が嫌いだ、人として軽蔑する、やめろよ」みたいな、はなから聞く耳を持つ気すらない場合、分かり合えない。

そういう人とどう分かり合おうとしますか?と聞かれたら 「分かり合えないことを分かり合おうとします」 と必ず答える。 話を聞く耳すらないとわかれば、説明すら試みない。 シンプルに距離を置く。 合わないものは合わないので、速やかに住み分ける。 話せる人と話す。

それでも、ついつい分かり合おうとしてしまうきらいが、自分にもある。 いや、内心では分からせようとしているだけなんだと思う。 昔からその気は強い。 そんなもんだから、最近は「は?」となっても意識的に反応しないようにしている Twitterはミュート、YouTubeは「チャンネルに表示しない」を多用。

どう考えたって、ただ否定的に噛み付いてくる人より、真剣に耳を傾けてくれる人にリソースを割いた方が良い。 悪意は、意識的にシャットアウトしていける。 同時に、自分の中の悪意も、ちゃんと心の内に留めておく。 そうしてからは、順調にストレスは減りつつある。

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