尻が割れた日
中学1年生の頃、自転車通学をしていた。
生徒全員に与えられた権利ではなく、
『家から学校までの距離が何キロ以上』
みたいなルールがあり、申請が必要だった。
幸か不幸か私が住んでいた団地は、自転車通学がギリギリ許可されているエリアだった。
徒歩で通学する一般の生徒を追い越す瞬間、
しょうもない優越感に浸ることもあった。
しかし、周りより優遇されていることは、
決して良いことばかりではなかった。
私が所属していた野球部は、それなりに上下関係が厳しかった。弱そうな2年生の先輩には反発することもあったが、3年生の先輩とは体格差もあり、とても頭が上がらなかった。
特に『S』という不良の先輩がいた。
喧嘩が強いともっぱらの噂で、服装を見ても、
振る舞いを見ても、ひと目の柄の悪さだった。
『着衣の乱れは心の乱れ』とはよく言ったものだ。
素行は悪いが、野球部では4番を打つ強打者で、
監督をしている教師もあまり邪険に扱えないという、『ROOKIES 』みたいな野球部だった。
もちろん不良ばかりではないが、全体的に治安が良くない感じの世代だった3年生に、私たち1年生はかなり萎縮していた。
多分、名前は覚えられていなかったと思うが、
自転車通学している野球部の一年生として、
顔は覚えられていた。帰宅時に私を見つけては、
呼び止めて荷台に乗せろと威圧してきた。
書くまでもないが、自転車の2ケツ(2人乗り)は道路交通法57条2項に反する違法だ。2万円以下の罰金又は科料に処せられるおそれがあるらしい(道路交通法121条1項7号)。知らんけど。
S先輩に捕まったら最後、乗せるしか命が
助かる方法はない。たまにパトロール中の
教師や警察に見つかって、途中で解放されることもあったが、大体の場合、家の近くまで送迎させられる。私の家とは真逆なので、大幅なタイムロスになるし、相当な体力を消耗する。
S先輩は、2ケツしやすい荷台のついた自転車を
狙う習性があった。先読みして、あえて荷台のついていない自転車に乗っている自転車通学生が
意外と多かった。兄弟がいたりすると、そういうプチ情報が回ってくるらしい。一人っ子の私は、はじめから狙われる運命だったのだ。
(ただの被害妄想)
日々、S先輩を乗せたり、他の先輩を乗せたりしているうちに、無理な負荷がかかっていたのか、
ある時、サドルに異変を感じた。
前方の部分が外れ、上下にカパカパする
(この表現で伝わるか自信ない)ようになった。
立ち漕ぎをする時に、少し浮く感じになるのだ。
それは日が経つにつれて、浮いたり、沈んだり
する振れ幅が大きくなっていった。
その日は家に早く帰りたい日だった。
何が何でも、とにかく帰りたい理由があった。
理由は忘れたが、親から早く帰るように言われていたので、光速の帰宅をする必要があった。
そんな日に限って、前方にS先輩を発見して
しまったが、拘束されないように一定の距離を
保って自転車を押しながら歩いていた。
だが急いでいる。このままの速度では、
予定の時間に間に合わない。私は決めた。
S先輩に気づかれず、さりげなく颯爽と生徒の
群れを駆け抜けていく作戦を決行しようと。
しかし、意外と群れが邪魔で前に進まない。
たいした速度で走れないという誤算が生じた。
心臓をバクバクさせながら、S先輩を横を通過した。気づいていない。作戦は大成功!!!
…と思った数秒後、後方から大きな声で
私の名前を呼ぶ人がいた。案の定、S先輩だ。
名前覚えてたんだ…と少し嬉しくもなったが、
そんな場合ではない。私はその声が聴こえていないフリをして逃げようと試みたが、
これが悲劇の始まりだった。
無理矢理、速度を出そうと立ち漕ぎをした時、
カパカパのサドルがほぼ垂直に浮いた。
そこに全力でシットダウンした私だったが、
この世のものとは思えない激痛を味わった。
声も出ない。涙も出ない。ただ尻が痛い。
尻に刺さったサドルはすぐに元の位置に戻った。
そして失速した自転車が何かの力で止まった。
背後からS先輩に引き止められていた。
「おまえ、さっき無視しただろ!?」と凄まれたが、尻が痛すぎてもうそれどころではない。
「いやぁ、呼ばれてるの聴こえてなかったっす」
これはバッチリ聴こえているけど無視した人間の
回答だが、どうやらS先輩には通用したらしい。
「まぁいいや、乗せてけ」と言われ、
泣きそうになりながら、2ケツすることになった。
パンツの中を確認していないから、何とも判断できなかったが、ど真ん中にサドルが刺さったのだから、恐らく割れて、2尻になっているに違いない。
当然、帰宅予定時間を大幅に超過し、怒られた。
踏んだり蹴ったりとは、このような事を言うのだろう。尻の痛みは治るどころか、時間が経つにつれ、どんどん痛みを増していった。まず、あぐらで座れない。そして、仰向けで寝れない。
これは困った。唯一、痛みを緩和する方法が
正座をすることだった。
翌日、行きつけの整形外科に行き、レントゲンを撮ってもらうと、『尾骶骨』というのが折れていることがわかった。場所が場所だけに湿布を貼ることも、ギプスをすることもできないので、
自然治癒を待つしかないとのこと。
そのまま学校に行ったが、もちろん自転車に
乗れるはずもないので、徒歩しかない。
椅子に座れない私は、椅子の上に正座する
しかなかった。周りから見ると完全に変な人だ。
クラスメイトからも理由を問われるが、
負傷内容も原因も恥ずかしくて言いづらかった。
この状態がしばらく続いたが、痛みはすっかりなくなって、今はもう完治しているが、後遺症で
尻は2つに割れたままである。