今朝、何となく書いた気持ちのメモから出てきた、自分の訴えとメッセージ。

↑オオカミさんを描きました。ペン画は憧れです…。

2024.7.25 15:07

怒りと悲しみが、突然、襲ってくる。オオカミを描いていたのだけど、耐えがたい寂しさと、怒りと悲しみがやってきて、
私は耐えていた。両足で床をドンドンと叩いたり、「あー。あー。」と声を出した。

私は今朝、カフェに行って図書館から借りた本を読みつつ、アイスコーヒーを飲んでいた。
その時の気持ちを、メモしていた。

"頭の中でその人、その空間に触れると、私の心、頭の中の何かが蝕まれていく。自然の、生命の、自己が。屈辱に塗れて、世界の見え方も、憎しみに変わる。"優しさ"も、その世界には存在しない。ただ、「出たい。」とその出口に向かうように、その人へと世界のすべてを使って矛先を向ける。
過去に起きた、過ぎ去ったこと。その時に感じたことは、私にとって永遠。そしてそれが、いまの私。いまは、永遠。無数のデジタルの連続が、アナログに内包されている様に。永遠を生きているんだ。みんなもそうでしょう?どこへ行っても私が私であるように、過去はただ、存在している。"

こう書かれていた。

私は馬鹿にされることが大変苦手で、すごく怒りを感じてしまう。
今まで蓄積されてきた、言葉に出来なかった、その時に言えなかった、感じてもいなかった、自分の気持ちが分からなかった………。
それらが、きっと今になって爆発しているんだと思う。
すごく苦痛だ。耐えがたいよ。

私はこれらを、ASD特性によるフラッシュバックと、アレキシサイミアだと思っている。
また、"頭の中でその人に触れると心が蝕まれていく。"というのも、"自分の世界と他者とのつながりができた"という意味では、ASD特性っぽさを感じると思った。

この"つながる"ことは、私にとって日常的に体験することだ。
私の場合、まるでその人の思考回路を一部共有しているような感覚に陥る。それ以外でも、(例えば、)何か界隈など、そこに入ったり(登録をする)すると、その界隈全体の思考を私は感じ取る。(これに関しては特性もあるかもだが、病的だと思っている。)

私は、人の気持ちが"見えない"ことがある。だから、もし「察しろ。」と言われるような場面があったとしても、それは経験上"見えないものを見ろ"と言われているようなもので、私は、機械的にそれをパターン化して経験していくほかない。

そして私は、大学で今"自分がどう思われているか"、"どう見られているか"、が全く分からない。結果として相手の様子をうかがい知ることはできるけど、どうしてその結果に至るのか、過程が分からない。つまり、「それで、どうしてそう思うの?」ということだ。まぁ、相手の言動や様子(?)を見ても、字義通りに受け取るため、後になって(フラッシュバック)「あの時もしかして、馬鹿にされていた?」となる。

最後に。大事なことを言いたい。愚痴と、こういう人に気を付けてほしいっていうことを話す。(とくに発達障害の人やその傾向がある人。「そんなの当たり前だよ。」だったらごめんなさい。)

人の問題や噂を聞いて、落ち込んでいる当人に優しく諭す様に教えることや、傍にいる人。どうやら世の中の一部か半数の人間か知らんが、そういう奴らは、偽善者であり、ただ他者に優しくすることによって自分の低い自己肯定感を上げようとするという人だということを私は大学に入って学んだ。そいつは、ただ人の噂が好きなだけであって、内心それを楽しんで他者と共有して大ごとにしたり、当人の心をもてあそんでいる。(その自覚はあるか知らんが)
そして、そんなことは、大人な人間がやることではない。それは幼稚な行為であり、世の中でよく見る大人のふりした人間だと思っていい。"汚いことをやるのが大人ってもの。"まぁ、その考え方は、あるかもしれないが、ただの"イきり"でしかない、所詮優越感に浸っているだけに過ぎないという事実は変わらない。腐った人間が腐った世の中を貢献などと言って、回しているだけだ。人の気持ちをなんとも思っていない。

私は、やつら(一部の大学の人たち)が、上の文章をもし読んだとして、自分のことを言われていると思ったなら、自覚してほしい。自覚できる人は、本当は、自分のやっていることが少なくとも分かっているはずだ。私はあくまで本心を話しているだけであり、それは事実に基づいた私にとっての真実であり、決して"勘違いしている""おかしなことを言っている"などとお門違いなことを言うとか、この世に存在しない方がいいと思っている。もし、読んで、それで私を攻撃"したい"と思ったなら、それは図星だということだ。
これは、自分が"人を侮蔑する行為をしている"ということを自覚してほしいと、疲れている私からの切実なメッセージであり、その一番の目的は、こういう奴らがいるということを伝えたいということ、そして、今の自分の気持ちを記録する目的である。

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