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「脱政治的」な自由を考える

「自由について考えざるを得ないこと自体が不自由だ」と言われた。

確かに自分は自由について考えすぎているかもしれない。

自由について考えることよりも確かにただ楽しいことを直感的にやっていた方が楽しい。そして直感的に楽しいことを選択できることが自由ってことでいんじゃねー?っていう意見もわかる。高度経済成長期などは実際にそのような意見で突っ走ることができた。

しかし、直感的に楽しいことを選択しているだけでうまくいかないことがたくさん出てきた。

・快楽に任せてTwitterで悪口を呟いたら人が死んでしまった

・快楽に任せる人々の投票行動に最適化した選挙対策がうまくいったことでポピュリズムが蔓延した

そもそも新型コロナウイルスの蔓延だって、中国の貿易や観光による拡散力が凄まじかったからこそ、こんなにも感染が拡大したこと言える。中国資本の移動=経済的な欲望、楽しさの追求によって歴史的な感染症が拡大している。

そして、新型コロナウイルスの感染拡大によって各国では個人の自由を制限する方向に舵が取られている。今になって人間にとって自由とは何か?再考が迫られていることを考えれば、自由について思考することなくただ楽しいことを直感的に行っていたツケが回ってきている。後回しにしてきた宿題を片付ける夏休み前の小学生のような状態になっているのだ。

僕はただの学士卒の読書ヲタクなので自由について定義したりすることはできない。ただ、この半年くらいの経験から「今こういう自由は失われているよね」ということを考えることはできた。

僕は今「個人的な問題があまりにも政治的になりすぎる」ことを危惧している。いくつかの例を挙げて説明したい。

今年の3月にコラムニスト伊是名さんとJRのトラブルがあった。詳細はググって欲しいが、個人が観光途中に遭遇したトラブルにスポットライトが当たって何日間もSNSでああだこうだ議論が起こっていることに違和感を感じた。次第に政治家によっても言及され、

・無人駅にエレベーターを設置するためのJR運賃値上げ

・障害者の過剰な制度的要求への是非

・本人が社会民主党常任理事であることへの嫌悪感

など、関係ない周辺の事柄についての議論にまで発展したようだ。

なぜ個人の旅行中のトラブルがそこまで大きな政治的争点になるのだろうか。

当然、本人の知名度やブログやSNSで積極的に投稿したことなどの影響もあるかもしれないが、本来当事者同士で話し合って解決すべきことが社会の構造の問題、つまり政治的問題へと拡大解釈されやすい言論空間になっているのではないかと感じた。

そして最近はスポーツが政治的に消費されるようになっている。

池江璃花子選手へのオリンピック辞退要求に始まり、錦織圭選手の「議論が必要」という発言など、オリンピック開催反対派の人たちから政治的な発言として引用されるようになっている。

池江選手のTwitterを読むとスポーツ選手としてオリンピックに出たいという意見が過剰に政治的発言として解釈されてしまうために自分の本音に素直になれない葛藤が見て取れる。

これが子供が憧れるアスリートの姿であっていいのか?

素直にそう思った。

僕も含め多くの子供がスポーツ選手に憧れるのは自分が好きなスポーツを政治的立場とは関係なく自由に続けることができるということであって、スポーツ選手として有名になって言論空間に一石を投じることではないはずだ。

上の2つの例にあるように本来政治とは関係ない領域が政治イシューとして消費されることで「政治に関わることのリスク」が恐ろしく高まっているように見える。

有名になることで常に自分の行動がウォッチされ、何かのきっかけで政治的意見の表明としてシンボライズされてしまう

一度シンボライズされてしまえば自分に強大な数の応援者がついてしまうので、その応援者を裏切らないように発言や行動を律していかなくてはいけない

なぜこのことが問題だと思うかというと日本にはまだ政治によって解決していかなくてはいけない問題が多々ある。

社会的に弱者と言われる人々を守ろうと思えば政治的に制度をガシガシ整えていく必要がある。

しかし、政治に近づくことで同時に失うものが多いのであれば政治で戦う必要性を見出しづらい。政治に近づいて大火傷するくらいであれば政治とは全く関係ない場所で自分が好きな仲間と好きなルールで暮らせる環境を作った方がよっぽどいい。

反政治的であるよりも脱政治的でありたい。

政治に期待できないのではない、もはや政治に自分を見つけて欲しくない。

だからデモにも行かないし、ハッシュタグもツイートしない。自分に政治的な色がつくことからは徹底的に距離を置きたい。

少し前は政治家になりたいし、起業家になりたいとすら思っていたけどこの半年間くらいで有名になって手放すものの多さを考えたら一生匿名のままで良いと思った。

・誰になんの文句も言われないで継続したり辞めたりできる自由

・自分の行動がシンボライズされない、監視されない自由

・匿名の存在のまま勝手気ままな活動ができる自由

そんな自由を大事にしたいと思った。


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