ひとりで書いているときに襲う「なんか書けない」の正体
会社だと書類作成がはかどるのに、自分のnoteアカウントでごく個人的なことを書いている時、「なんか書けない」という状況によく遭遇します。
この「なんか書けない」は、どのようにして起こるのでしょうか。
その答えのひとつに「”書かなければならない”不足」があると思います。
このことについて考えていくと、「パーソナル編集者は、なんのために存在するのか」ということについて、少しずつ分かってきました。
情報発信の基本は、団体競技である
まず、いま世の中に溢れているほぼすべてのコンテンツは、人間ひとりの力で制作されていません。
たとえば、毎日膨大な量が生み出されるネットニュースひとつをとっても、書き手が一人で書いてそのまま世の中に出ているものは、ほぼないと言っていいのではないでしょうか。
情報発信の基本的な考え方は団体競技です。
組織の中には「誰が書いて、誰がチェックする」という役割分担があります。チームでやるから、記事のクオリティを保ったまま、毎日発信し続けられるのです。
仲間の存在が「書かなければならない」を生み出す
締め切りを管理している上司のような存在は大切です。「間に合わないとやばい」といった状況が「書かなければならない」という気持ちを作ります。
組織の中で当たり前のように行われている、納期や締め切りを設定する、フィードバックを送り合うなどのやり取りは「サボったらやばい」「ほめられてうれしい」といった動機づけを生みます。
自分がPCに向かっているところを誰かに見られているという状況でさえ、「書けるようになる」きっかけを作っていると言えます。
コンテンツを作るモチベーションを維持していくためには、仲間の存在は欠かせないのです。
個人の情報発信には「書かなければならない」が少ない
では、個人の情報発信はどうか。
自分のSNSアカウントを使って情報発信をするのが当たり前の時代になりましたが、会社がチームでSNSを運用している一方、個人の情報発信は個人競技に等しいです。
「いつ書き終わるんだ」と締め切りを守れなかったことをしかってくれる存在もいなければ、「いい文章だね」とほめてくれる存在もいません。
個人の情報発信には圧倒的に「書かなければならない」が少ないのです。
だからこそ、SNSでは自由にひとりで楽しく書けたらそれでいいのですが、Xやnoteの影響力というのは年々増していて、SNSを続けることでそれが仕事になったり、思わぬ人とのつながりが生まれたりと、「書き続けていると、良いことがある」のも事実です。
とくにnoteのようなストック型のコンテンツは、これまで自分が書いてきた証がしっかりと刻まれるので、書き続けたいと考える人も多いと思います。
そうなると、「やっぱりSNSをがんばったほうがいいか」となるわけですが、一人で情報発信をがんばろうとしても、モチベーションの維持が難しかったり、いいコンテンツになっているかどうかの判断が難しかったりします。
ここで、パーソナル編集者の登場です。
同伴者がいると書けるようになる
個人でSNSを継続していくのは、想像以上に自分との戦いです。「まあ今日はいいか」という誘惑が日々襲ってきます。
そこでぜひ、パーソナル編集者を「お尻を叩いてくれる人」として活用してください。
「宿題ですからね」
「今週末までに書きましょう」
そんなふうに書けるようになるアプローチはないかと、パーソナル編集者はいつも考えています。あなたが書けないとき、私たちは腕まくりをして待っています。
しかしパーソナル編集者は、単に締め切りを煽るだけの人ではありません。
私たちは、話に耳を傾けるプロです。
ゴルフ選手にキャディがついて、ボクシング選手にセコンドがついているように、個人のSNSの発信にも、書き手に助言を与えたり、士気を鼓舞する役割を果たせる立場の人がいるといいのではないでしょうか。
書けない悩みを、そのまま見せて欲しいのです。
キャディやセコンドが、選手にとってのよき理解者であるように、パーソナル編集者も書き手の一番の理解者となるよう常に意識しています。
締め切りの設定だけでなく、アイデアの壁打ちも、雑談もお任せください。
「なんか書けない」状況になった時、パーソナル編集者の存在をちらっと思い出してもらえたらうれしいです。(執筆:渋谷 祥平)