ターボジジイには追いつけない
2025年の成人の日は13日(月)、私が二十歳の頃は成人の日は15日と決まっていました。そして今は十八歳で成人なんですね。侍の時代は十六で元服だったそうです。
十代の頃、二十歳になったら成人ということは理解していたけれど
法律上大人になっただけで、昨日の自分と何も変わらなかった。堂々とお酒が飲めて、煙草が吸える、選挙権がある、その程度の認識でした。
過去の記事にも書きましたが、少年野球時代の影響で、高校野球の甲子園大会を見るたびに二十代後半まで高校球児は自分よりお兄さんたちという錯覚に陥っていたのは事実です。
三十を超えた頃、自分で思い描いていた三十代という大人とは随分かけ離れていて愕然としたことを覚えている。モラトリアムから抜け出せない幼稚な人間なのかもしれない。いや抜け出そうとすらしていないのかもしれない。
四十代、童顔だった顔にもほうれい線やら眉間のシワやらで見た目のおじさん化は進んでいきました。いつになったら大人になるんだいと自問自答しますが、そもそも大人になる気があるのだろうか自分。はてさて大人とは?もっとしっかりした人間を想像していました。
今や五十代半ばを折り返し、少しは丸くなったのだろうか。くだらないプライド、虚栄心、承認欲求、偽善者など時折見え隠れする自分に嫌悪感しか抱かなかったけれど、執着の断捨離が少しずつできるようになった気がする。
想像していた五十代とは随分とかけ離れてしまい、先を行くあやつはターボジジイに違いない。追いつくどころか離されている。
ジジイが速いのか、私が進んでいないのか。
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