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中村淳彦さんから学んだ事 その1

「地に足をつけて生きていきましょう」

この言葉は、キラポエ(キラキラポエム:飾られた美辞麗句。現実世界を直視しなくて良いため、夢を見ることができるという効用がある)と副業の文脈で語られる。「地に足をつけて生きる」をキラポエ風に言い換えると、「置かれた場所で咲きなさい」となる。

「置かれた場所で咲きなさい」と言われると、どうしても「咲いていない」自分に無理がかかってしまう。ブラック企業で働いているにも関わらず、何としてもその場で咲こうとして心身が壊れてしまう例を考えると理解しやすいだろう。

タイトルの「咲きなさい」では、さらに努力を強いられている気分になるが、渡辺和子さんが言いたかった事は、実は中村さんと同じで、「地に足をつけて生きていきましょう」という事なのだ。ブラック企業である事に気づけば、転職という花を咲かせれば良い。気づいているのに無視し続ける事は、「咲く」事ではないのだ。

「地に足をつけて生きる」とは、思考停止を避けて、自分の人生を選択し続ける事である。「置かれた場所で咲きなさい」も、思考停止しない時にはじめて有効となるのだ。

キラポエは、その逆で、自分で考えずに、人の言う事を鵜呑みにしてしまう行動である。これは人を尊敬するという行動に繋がりやすい。中村さんが、「尊敬するのをやめましょう」と繰り返し言っているのは、そのためである。大谷翔平も「憧れるのをやめよう」と言って、日本を勝利に導いたように。

「地に足をつけて生きる」ことによって、今の自分を客観視するしないに関わらず、現実世界を生きていくことができる。自分や他人が咲こうが咲くまいが、生きていくのだ。

彼は、「学びと成長」を否定的に捉えているように聞こえる。それは、現実世界を肯定的に捉えられずに、「自分はこんな状態で終わるはずがない」「もっと違う世界があるはずだ」ともがいている人々、「もっと成長を、もっと学びを」と言っているにも関わらず、インスタントに達成しようとする人々に対する警鐘として作用する。

ところがどっこい、彼の言葉は、「地に足をつけて生活」する者からすれば「学びと成長」そのもなのだ。

このパラドックスが彼の魅力になっている。例えるなら、お金に執着しない人にお金が集まってくるようなものだ。

彼は執着をしない。キラポエを追い続ける、ワーママに対して以外は。

彼はワーママのキラポエへの洗脳を解く事に執着しているが、そこに悲惨さや悲壮感は微塵もない。むしろ楽しんでいて、エンタメになっている。それは愛と呼べるのかも知れない。彼の放送を聞いて、キラポエの存在に気づいて、現実世界に戻る人々もいるようだ。

他人を変える事はできない。自分で変わろうとする以外は。

「何か間違った方向に行っているなあ」とこちらが感じでも、それを面と向かって相手に言うと、相手は意固地になるだけで、むしろ悪い方向へ向かってしまう。中村さんのように、愛のある執着を持ってエンタメ化することで、「間違えに気づいてくれないかなあ」と思い続けるくくらいがちょうど良いのかも知れない。常に間違っているのは自分なのかも知れないという、「いつも心に底辺を」マインドを忘れずに。

今回はその1としたが、続編があるかは未定である。おそらく今後も彼から学びと成長が得られそうなので、気力があれば、続編を書いてみようと思う。

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