きやさん、KIYA-HEN氏へ。
出会いは2000年、最初のバンドraw blood feverでの対バンだった。
当時から私は対バンの事をある程度チェックしつつも本番では
「関係ない。俺らは俺らでやるだけだ。」
そんなスタンスでライブに挑んでいた。
その辺りは今も変わっていないかもしれない。
そう思いながらも、我々の前の出番の"KIYA-HEN"ライブのステージは強烈な印象を残していった。
あの長身から放たれる爆音のギター、存在感、なによりも"KIYA-HEN"の名前からもわかる、深いジミヘン愛、ギター愛。
そのライブ後、氏の個人サイトにご挨拶の投稿、やり取りを経て、交流が始まった。
ヴィニーズバーなどのライブパーティ、友人、知人のライブでお会いし、時に我々のライブにも足を運んでいただき、色々な意見もいただいた。
ある日の友人のライブに私が自転車で場に駆けつけた後「おおー!いいなー!これ。」と氏も思わず私の自転車に乗り始めたり、
打ち上げセッションでテンションが上がりすぎてガタガタになった私にツッコミを入れたり、
母方の実家から送ってもらった、フォークブームの頃に作られた昔の国産アコースティックギターを弾いて、
「このギター、いいギターだから大事にしろ。」と助言をいただいたり…そんな交流が続いていた。
(そのアコースティックギターは今も大事に使っている。)
〜
その後raw blood〜解散後の新しいバンドの活動で一度どん底に落ち、本気で絶望した時期があった。
それまで普通に会って会話していた人達とも会話が出来なくなり、普通に通っていた場所にも行けなくなってしまう程堕ちた。
何もかもに耐えられなくなり、それまでいた場所から離れ、約8〜10年間ほど氏とも疎遠になった。
その後、そのバンドを脱退、現在のハラキリカルチャーの活動や個人の活動で少しづつ自分を取り戻していった。
今まで離れていた場所にもまた自然と足を運べるようになり、友人達とも再会し、徐々に胸の内を話せるようにまで回復していった。
確か今から7〜8年前、だったと思う。
スタジオのロビーで雑談していた氏を見かけ挨拶をした。
「…お久しぶりです。」
「おう。久しぶり。」
その時はそれだけだったが、
やっと自然に声をかけられるように回復していた。
その頃の氏は髪を切り、まるで海外のミュージシャンのような現在のルックスに変わっていたが、その眼差しは前よりも優しくなっていた。
ギター講師の仕事もやるようになり、後進、次世代ミュージシャンとの交流が増えた、と聞き、その優しくなった眼差しは間違いなくそこから来たのだろうな、と何だか嬉しくなった。
〜
私は元々バンド活動だけでなく、色々な人達とセッションするのが大好きだ。
最近そんな機会を中々作れていないな、と思った矢先、氏が主催のセッションが開かれている、という話をSNSで知り、ある日フラッと行ってみた。
場所は8JOというライブバー。
(後にBLOCOに場を移して継続されていく。)
エントリーシートには"ペリー"と書く。
久しぶりに会うきやさんにご挨拶。
「何で"ペリー"なの??」
「今のバンドのステージネームです。」
戸惑う氏に、現在の活動で名前よりステージネームの"ペリー"で呼ばれる事が増え、そしてそっちの方が定着してしまった事を初めて話した。
それから氏も私の事を"ペリー"と呼んでくれるようになった。
セッションの番が来た。ミディアムテンポのブルージーなコード進行。
氏と一緒に演奏するのは久しぶりだった。
あの時聞こえなかった、氏のギターから奏でられるメロディ、
「おっ!」と言いたげな笑みを浮かべながらこちらを向き、気持ち良さそうにギターを弾く姿を見て、こちらも自然に笑顔になった。
「やっぱりいいな、きやさんのギター…」
演奏後、皆さんにありがとうございました、と挨拶し戻る。
当時の自分には出来なかった事だ。
最後のセッションでまたドラムで呼ばれる。
「さっきのブルースのセッション、上手くいかなかった。もう一回いいか?」
「はい!」
もう一度、3連のスローなブルースのリズムを叩いた。
1.2.3...ダ、ト、ト...
氏のメロディ、皆さんのメロディ、リズムに身を委ねながら演奏。
ブルースの定番の最後のブレイク!
みんなで演奏をバシッと止める。
きやさんと目を合わせて、わかるように声を出す。
1…2…ハッ!…ダ、ド、ド…
最後の締めはバッチリだった。
あの時本当にきやさんと初めて"音"で会話が出来たかもしれない。
やっぱりみんなで音を出すのっていいな。
やっぱりこんな時間を作らなきゃダメだな。
もっといい演奏出来るようになろう。
帰る際の「ありがとうございました!」の挨拶も含めて、全てが自然だった。
自然に出来るようになっていた。
〜
私は皆さんのように深い関係を築けていたわけではない。
ただ、自分を取り戻しずっと眠っていた何か、もしかしたら元々自分の中にあった何かが目を覚まし、もっと人に優しく、暖かく接する事が出来る様になったきっかけの一つは、間違いなくきやさんのセッションだった。
身の回りの変化もあり最近はなかなか行けず、やっと落ち着いてきて必ずまた行こう、と思っていた矢先の事で非常に残念でならないし、一緒に音を出す機会をもっと作りたかった。
その事は悔しくてたまらない。
でも一緒に音を出して奏でた瞬間、一緒に演奏出来たあの時間は、何にも替えられないとても幸せな時間だった。
今は素直にそう言えるし、そう思っている。
お別れの場でも、沢山の友人、ミュージシャン、セッション仲間に再会出来た。
「やっぱりきやさんはギターがないと、ね。」
「ずるいよね…こんな綺麗な顔で眠っていて。」
眠っている氏の顔はとても穏やかだった。
あれだけ沢山の方に慕われた方だ。
12弦ギターのメロディと共に天国の階段を登り、憧れのジミヘンを初め、沢山の素晴らしいミュージシャン達に出会えているはずだ。
そちらに無事に辿り着いたら、私達が羨ましがるような沢山のミュージシャンと思う存分ギター弾いてセッションして下さい。
我々がそちらに行った時は、また沢山の話を聞かせて下さい。
そして、どうかあいつにもよろしくお伝えください。
さよならは言いません。
さよなら以上のありがとうを。
本当にありがとうございました。
きやさん。またいつか。