一緒に生きよう
※2012年 息子2歳の時の文です
よくバスとか、電車の人とか、
色んな人に手を振りまくってる子どもって居て、
子ども産む前、子どもはあんまり好きじゃなかったんで、手を振られても
「けっ お前ら人が全部善人だとばっかり思いやがって、調子に乗ってんじゃねえよ…」
と思っていた。
で、気づいたら息子がその「手を振りまくる子」になっていた。
選挙カーかというくらい、何にでも手を振りまくっていて、
うらっかえって足をじたばたしている謎の虫にも手を振っていて、
(近づいたらゴキブリだったら嫌なのでよく確認しなかったけど)
たとえ虫が手を振れたとしても、
振りかえすような余裕のある状態ではなかったよ
おまえ、と突っ込みつつも、
改めて息子の立場になると
世の中というのは、
1)親と、よく見て触れているおもちゃたちとご飯と
2)たまに見たことのある優しい人と、犬猫、鳥、同い年くらいの子ども
3)それからなんだかよくわからないそのた大勢の人やもの
というものでできていて、おもに1)と2)にしかほとんど興味がないし、
それ以外の3)には、身を固くしてやりすごす、という方法しかなかった。
けれども、3)というものもだんだん視界に入ってくるようになって、
もしかすると3)にも、自分と関係を持ってくれる人がいるのかもしれない、
という、1) 2)だけの世界を超えて、新たな世界へ踏み出そうとしているからその手を振るんだ、
と思うと、泣けてきてしょうがなかった。
これから、コミュニティ、というものがある、ということを、
君は感覚で知って、
人と人とが、うまくはいかないものだ、ということを、
きっと経験するだろう。
世の中は、人と人とで成り立っているが、
人と人が居る、と思うから、ウマくいかない、
と、先日いろいろと教えてくださったヨーガの先生が言ってた。
人は本当は世の中に一人しかいない。自分というものと、
自分が映し出す世界しかない。
そこを知り始めるまで、俺は大分泣いた。
色んなものに希望を持って、絶望した。
そういう絶望を自分以外の人にしてほしくなかったから、
子どもを産みたくなかった。
でも、本当に天の采配と言うしかない状況で、
(俺が)ギリギリで産まれてきた。
息子が産まれたいと強く思ったから、きっと、産まれてきた。
だったら「世界は美しい」と、
思えるように生きて行こう。一緒に。
って、書きながら、改めて思った。