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お香日記 2024年7月17日(火)

朝お香の先生からメールが来ていた。
香原料についてはっきり言明することについてだ。
確かに。🖐️がお香になるなんて、相当関連書を掘らなければ書いてない。なのに、それが当然のように今まで振舞ってた。まずいことをしていた。

でも、訂正するには、あまりにも普通に用いていたもののため、インスタも相当書き換えなくてはいけない。いろいろ詰まっているなかこれは無理だ。

そういえば、だいぶん前に🌿をいろいろ育てている人から、ものすごい丁寧だけど、情報だけもらいたいみたいなメールが来ていた。🖐️を明言しなければ、この人からもメールが来なかったということか。

自分ならではの発想もいろいろあるなかで、最初にキットを売ってもらったから、私はお香の活動ができている。それにしては、あまりにもNGのことが多くて、改めていろいろ考える。

普段のお香セッションは、お香の先生に教わったことだけをひたすらして、「場のお香」っていう、面白い場にある植物だけでお香を作る活動は、自分のノウハウを存分に発揮させようかと思う。そういう切り分けが必要な時期に来ているかもしれない。その辺をどこで切り分けるか。

オショーカードに聞いてみたら「人の言うことは関係なく、あなたがどうしたいかだ」とでた。私がどうしたいかだけで生きてきたが、そうなると逆にキットを全部手放すという方法もあるかもしれない。全部手放して何ができるだろうか。

どうしたいか、ということでいえば、ひたすらメニューをシンプルにしたい。けど、キットを使いすぎるのもいやだ。

お香の活動をもうちょっと地盤をもっと固めて、エンタメの試行を早くしたい。ドラァグ、演劇、ダンス、歌。癒しとエンタメの両輪を回すために、また一歩踏み出していきたい。

昼に夫としゃぶしゃぶを食べに行って、大変おいしかったので頑張ろう、と植物を粉砕しまくる。これを粉砕していると、しゃぶしゃぶありがとう、植物ありがとう、生きててありがとう、と、いろいろ満ちていく。わし、お香づくりやっていていいんだな、わしにもなにかの役割がお香であるな、と思わされた。

今回は、里のengawaの植物と、その他寺家の植物だけでお香づくり体験キットを作る。
初めて私の畑で育った花もブーンと粉砕。これほどまでに収穫できてありがとう、、、

今日はせっかくなので、高木正勝さんの即興シリーズをひたすらスピーカーでかける。あとyokingという、山に住む人が、狼をなだめたり交流するために歌う歌もかける。世の中には北欧のほうにあるCulning?っていうものもあって、

それは牛を呼び寄せたりするものでものすごいいいのだ。Joanna Jintonとかいうスペルあやふやだが、そういう人の動画をみると面白い。Culningは単独であんまり曲になってないが(たぶん)、yokingは単独でレコードになってて、spotifyでも聴ける。

yokingはculningの美しさと違い、人が最終的に狼になるような、イグルーで暮らすひとたちの春分を待つ集まりの時にやる劇のような感じがして、胸アツになった。
(6歳くらいのころ、エスキモーの人の春分を待つ間にいろんなけものを憑依させて語る物語って劇をやって、その時に私はイタチの役をやり、いまだにイタチの手が抜けない)

少し疲れてペリーの頭を少し塗る。
次は背景をメディウムで盛り上げたい。

夜、
ネットフリックスの番組「BOYFRIEND」をみながら香港のみなさんとチャットで語らっていたらあっという間に22時。
シュンの言っている違和感とは、陰キャと陽キャのテンションの違いで、わたしたちは(勝手にたちというが)、グイグイ押せばなんでもイケる、といろんなラブストーリーから教わっているつもりだったが、そうでもないのだ。相手のテンションをみながら、押したりひいたりするのが令和なのか。ならば、20年ほど前の私は、常にオール大正解なわけだ。

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