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小山田圭吾さん2万字インタビューと俺の25年間

※はじめにあやまっておきます ごめんなさい。この文は、いじめ擁護とか、そういうことではないです。

ロッキンオンジャパン 小山田圭吾2万字インタビューの号は リアタイで買ってた

高校演劇から日本大学芸術学部演劇学科入ろうとしたけど落ちて
一緒の地区の強豪校のスターだった人についていって劇団入ろうとしたらエチュードができずにものすごい恥ずかしくなり、

そのうち雑誌が面白くなってきた。
高校の時? オシャレーって思って聞いてたフリッパーズギターの小山田圭吾さんの顔が大好きで、アイドルぽく表紙に載ってて素敵すぎて買った。

小山田さんの載ってた2万字インタビューのロキノンは挑戦的に判型変えたリニューアル号で いろいろ攻撃的だったと思う。ロック雑誌なのにアイドルっぽい表紙、デザインはノリに乗ってる中島英樹さん、新しい写真家はおっさんの歴史の巣窟の写真雑誌からではなくこの雑誌から次々と注目されて、売れっ子になっていった。私はこの号のコーネリアスの折り込みポスター切って部屋に貼ってた。

だからよー
このときの編集者に私はなりたいって思ったんだ
「うんこ食わせてバックドロップ」ってひどい言葉でも、周囲をものともせず記事にし、
「これが俺の仕事だ!!! 生き方だ!!!」と、ひとに質問し、記事を書くことで、叫び散らす人になりたかった。

それを本当にするなら少なくとも編集者という仕事じゃないことを知ったのはもうだいぶん時が流れたあとだった。


Fラン大学でマスコミのOBがいないなか、出版社の就職試験に落ちつつ編集者の専門学校に入りクオークエキスプレスを学びそのツテで新卒でエロ本編集プロダクションに入社し
3ヶ月で潰れ
その後に社長の紹介で免許ないのに自動車スクープ雑誌、使えなくてデジタルカメラマガジン、デジタルカメラならではの写真表現とか言ってる間に仕事が出来なくてクビ 

頭でわかるのに5〜6年かかった。

じゃあなんだ?「これが俺の生き方だ!!」と叫べる職は? と気づいたら20年以上経ってた。

太ったしコンタクトレンズケアする余裕なくていっときは視力をなくし「あなたにコンタクトの処方箋はあげれません」と眼科医に今でも言われてるが、

この20数年間は後悔してない。

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