#91 『植物電子の本』

大好きな平沢進氏の新譜『植物電子の本』が一般配信もされたので、各曲の感想を書いていきたい。

ファンクラブ先行予約で入手して視聴してから、ずっと書きたくてウズウズしていた。
書いてあるのは感想というより、曲を聴いて思い浮かんだ心象風景のようなものがほとんどだが、それだけ想像力を刺激されるような楽曲の数々が揃っているだけで、いかに素晴らしい作品かを物語っている。

では以下より感想。

01:記憶草の万象歴
毎朝の日課として、住宅街を自転車で乗ってしばしの散歩を楽しんでいる。今日は気分を変えて、いつもと違う道へ。すると、知らない道を見つけたので迷わず入ってみる。
鬱蒼と生い茂る並木道が広がっている。涼しい木陰を駆け抜ける風に吹かれながら、いい気分で走っていると、いつのまにか畦道になっていた。こんな道に続いているなんて。
畦道を走っていると、子供時代とは異なる、もっと古い原始の記憶からくる郷愁を思い出す。
どうしてこんな大切なことを忘れていたんだろうか。

02:植物電子の本
ミニマルなセットが組まれた一人舞台。役者が規則的な動きで歩き始めると、いつの間にか延々と続く、ガラス張りの螺旋階段を下っていく。いつの間にか明るい日差しに照らされた広間にたどり着く。
ダンスホールのように広いのに、温室のようにガラス張りの天井。白い大理石の床の上を歩くと、目の前にフラクタル状に描かれた美しい植物と花々の屏風が無数に現れる。それは一人でに動いて、行手を阻む。しかし、実際には阻んでいるのではなく、進むべき道へ案内しているのだ。

03:浮揚花の野辺で
真っ白な卵形の潜水艇は、人類がまだ足を踏み入れたことのない深海へと潜っていく。
その潜水艦は揺籠のようにも、棺桶のように見える、一人だけが乗れる小さなもので、母船から垂らされるワイヤーと通信用のケーブルだけで繋がれている。あんな細い糸だけで吊るされていることに、不安を感じる。何故なら、先ほどから潜水艇は潜るというより、ただ深海へゆっくり落ちているように思えるからだ。
通信機から聞こえる音は不鮮明で、ほとんど何も聞こえない。窓から見える深海の景色は何もなく、ただ深い青が広がっている。もはや魚すらも見えない。一つずつ、現世の記憶を失っていきそうだ。
突然、潜水艇のライトが照らした先の景色に目を奪われる。真っ白に光る、新種のウミユリが群生する、深海の花畑。花畑に潜水艇が埋もれていくと、もうあのワイヤーのことなど何とも思わなくなっていく。

04:登山する植物
東アジアのとある先進国。
古いものも新しいものも入り乱れた高層ビル群は規律的な厳格さすら感じそうだが、その実態は真逆だ。
そんなビル群の間を、ローラースケートを履いた若者たちが疾走して行く。走る車やバイクを追い抜き、飛び越え、ときにはビルの屋根を飛び越えながら、彼らは走る。
その姿を訝しげに見る大人もいるものの、大半の人々はそのエネルギーに満ち溢れた光景に眩しさすら感じているのだ。

05:連峰の雪の赤い花の領域
月の裏側にかつて住んでいたルナリアン(月人)達は、高い文化性と芸術性で知られる民族であった。彼らがあらゆる方法で表現するものには、扇状的な悪意や憎悪がなく、ただ日々の中や人々の間で営まれる繊細な感情の機微を尊び、愛でるものばかりであった。
彼らが夜、寝る頃になると、かつて野外劇場だった遺跡で行われたオペラのアリアが公共放送で流れる。これはおやすみの合図。月に訪れる静かな夜の訪れを知らせ、ルナリアン達は寝床へ向かう。一つずつ消えて行く、家々の灯り。
もう聞く者がいなくなっても、公共放送からは決まった時間になると、このアリアが流れる。
おやすみ、ルナリアン。
おやすみ、月の世界。
そして、さようなら。

06:放浪種子 電離層へ向かう
南アジアの片田舎にある大きな工場では、今でもなお職人達の手作業でとある部品が作られている。一定のリズムで奏でられる作業音。ガッタンバッタンと刻まれるそのリズムに、職人達の鼻歌、そして歌声が混ざり合う。
彼らの作る物はいつか、誰も見たことのない遠い世界へ行くために必要な大きな船に使われるらしい。職人達の仕事は大変なものだが、誰一人として辛そうな顔を見せることはない。真剣に、楽しんで、穏やかに笑っている。
蒸し暑い工場の中での作業を終えても、職人達の耳にはあのリズムが離れない。そのリズムはきっと、船が出来た時、その船が進む時にも同じように奏でられるのだろう。

07:遠征する青い花が光に根を張る谷
巨大な帆船が大きく帆を張り、海を進む。今し方、出航式を終えて、町人たちの盛大な見送りの声を背に出たばかりだ。
しかし、出航して早々に嵐の気配。乗組員達が大慌てで嵐に備える。しかし、この嵐は人の命を奪うためにやってくるものではないことを、ここにいる誰もが知っている。一生懸命、乗組員達はマストに登り、息を揃えて帆を畳む。
嵐がもたらすのは祝祭の雨だ。甲板を濡らし、乗組員たちを輝かせ、まだ見ぬ世界へ胸を膨らませる。嵐が止むと、水平線には真っ赤な夕陽が輝いている。

08:受粉電荷 未来へ帰る蔦
レトロなこのゲームセンターには、自分だけがやりこんで、誰も遊ばないゲームがある。バイクと車の中間のようなシートに跨り、コインを入れてプレーする。ゲーム上の道路を走っていると、いくつかのアイテムや分岐があるのだが、その選択次第でクリアしたり、ゲームオーバーになったりする。
しかしその基準が分からない。先ほどはクリアできたアイテムが、次のステージではゲームオーバーに繋がったりする。しかし、プレーしていくうちに段々その規則性やルールが分かってくる。そこが面白い。
夢中になって遊んでいると、向かいの同じゲーム台に誰かが跨る。画面にチャレンジャーの参加が伝えられる。望むところだ、このゲームに適うものは自分以外いない。しかし、相手の男もなかなかやる。いい感じに拮抗し、結局こちらが負けた。でも清々しい気分だ。この変なゲームを好んで遊ぶ同志の顔が見たいと思って、ゲーム台から立ち上がって向かいの躯体へ行くと、そこには誰もいなかった。

09:見えるのは光ですか?はい光です
深い、深い鍾乳洞の中を歩いている。
時折、頭上から冷たい水が落ちてくるのにヒヤッとしながら、暗い世界を進んでいく。
そこは、天然の宮殿や迷宮のようだ。あまりにも広大で、入り組んでおり、全容が分からない。小さなライトで照らされるその先には、白亜の鍾乳石がずっと広がっている。時折見える澄んだ青色の池を通り過ぎながら歩いていると、ずっと遠くの後方で岩盤の崩れるような音が聞こえる。一行は思わず立ち止まるが、しかし、そのずっと先からは赤子の鳴き声と何か祈祷するような声が聞こえる。
足を前へ、前へと進めていく。進むならば、未知の方へ、希望のある方へ。

10:思い出してください やって来ます
港町の朝。
起きた瞬間から街はざわめいている。盛大な祭りの準備が執り行われ、住人達は来る今日の大イベントへ胸を膨らませて笑っている。
長い長い旅に出ていた船団が帰ってくるのだ。彼らの帰還を祝うパレードや紙吹雪が用意される。その準備で慌ただしく動き回る大人たちの間を、一人の子どもが走り抜ける。誰よりも早くあの船団を、あのパレードを見たいのだ。
潮風香る狭い路地を走り抜けて、高台に登ると待ち侘びた船団達の姿が見える。第一船が到着すると、住人一同万歳三歳で帰還を喜び、あちこちから紙吹雪や花吹雪がばら撒かれる。
歓喜の瞬間は今起こる。

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