#15 メンズメイクに、ありがとう

お恥ずかしい話だが、実は30歳を超えるまでまともに化粧というものをしてこなかった。
やるとしても冠婚葬祭など化粧することが求められる場面や、年に1度ほど気が向いたときに軽くやるくらいであった。

異物を肌に塗る言い知れない居心地の悪さに対する、化粧そのものへの忌避感もあったのだが、それ以上に化粧は他者や社会から『強制されてやるもの』というイメージが強かった。

女子に生まれた以上、化粧をした顔でなければ人前に出てはいけないとか、異性にモテるためには化粧をしなきゃいけないとか、私にとってまるで関心のない理由の上に、化粧という存在があったと思う。

中学・高校では校則上化粧がNGになっていたから放ったらかしてもOKだったのに、卒業間際や大学生になってから、急速にそんな風潮が高まることも不快であった。

ただ中学・高校の段階で、すでに化粧に取り憑かれた早熟な同級生もいて、その子に「あんたも化粧をした方がいい!」と言われ、実際にされたことがあった。
しかし、その子の好む化粧はいわゆるギャル系に属するもので、アイラインもマスカラもバッチリ!というかなり強めのやつだった。当時のファッションリーダーが浜崎あゆみという時代性もあったかもしれない。

私といえば、浜崎あゆみに惹かれることはサッパリ無い学生だったので、ああいうタイプの化粧をするのは異文化体験的な心持ちであった。
しかし、当時この系統の化粧というのは恐ろしく「目の粘膜にアイラインを引く」という工程が普通に受け入れられていたのだ。

当然、友達が私の目の粘膜にアイラインを引き始めると私は痛みでボロボロ涙をこぼした。すると、その友達は「アイラインが崩れるから泣かないでよ!」と言う。無茶な話だ。

出来上がって友達と一緒に鏡を覗き込む。
そこには浜崎あゆみが2人いた。

あれだけ痛い思いをしたのに、なんと面白くない仕上がりだろうと思った。そもそも人より顔が濃い方なので、アイラインもマスカラもギャグのように過剰に見えるのも残念だった。

その一件以降、私は「化粧なんかしてたまるか!」というポリシーで大学生からほんの最近まで生きてきた。たまの冠婚葬祭でも、申し訳程度にアイシャドウやリップを乗せるくらいで、それも仕方なく義務でやる感覚だった。

そもそも、男子に女子の化粧なんて分かりゃしないのだ。大学生の頃に付き合っていた彼氏から「たまには化粧した姿が見たい」と言われたことがある。
「おぉう?失礼こくやないか、素のアタイじゃ不満だってのかい?おぉん?」
と言い返したかったところだが、付き合ってる頃の精神状態がまともなワケないので「えへへ、分かった❤️」と答えたと思う。
誰か過去に戻ってコイツを射殺してくれ。

私は彼氏を驚かせるべく、特に何の予告もなく化粧して会いに行ってみた。
結果は明白だろうが、気付かれなかった。

「いやー、これもアタイの顔面が完成されすぎてるからですかねぇ、ドゥフフ」
とはならない。
いや、1mmくらいは思ったかもしれないが。
せっかく時間と手間をかけてシコシコ作った顔面でも、相手に気付かれなきゃ意味ねーじゃん、と思った。

「あぁー、あぁー、ダルいダルい!化粧なんかしてたまるか!」
とますますその思いを強めた私は、ミニマリストもビックリしそうな少ない手持ちコスメで冠婚葬祭を乗り越えていった。

ただ、手放しに何もしていなかったというよりも、基礎化粧に力を入れることですっぴんがまかり通る地位を確立するようにはしていた。
やはり、相手とスムーズにコミュニケーションを取るには清潔な見た目であることは大切だと思っていたからだ。

とはいえ、高級な化粧水や乳液、美容液をしこたま使うということはせず、無添加品で低刺激、余計なものの入っていない安価で上質なものをコツコツ使い続けるというスタイルだった。高校生くらいからこういうケアを始めて、それは軽度のバージョンアップを経つつ、今でも基本は変わらずに続いている。

化粧……中でもメイクをまったくしなかった私の意識を少し変えたキッカケはカットモデルの経験だった。

今でもお世話になっている美容師さんに頼まれて、何度かカットモデルをしたことがある。
いわゆる社内コンペや季節のスタイリング特殊ページ用にオシャレな写真撮影に協力したり、その美容院が行うショーでランウェイを歩いたりと、華やかな世界の一片を見させてもらったものだ。

カットとカラーを施し、衣装を着て、メイクをされると驚いた。全然違う。
その時々のコンセプトでいろんなメイクをしたが、どれもなんか良かったのだ。そのことがあってから、私の化粧嫌いは少しだけ和らいだ。

さらに化粧嫌いを直した決定的な理由がある。
メンズメイクの台頭だ。

コロナの流行に伴ってオンラインでのミーティングが多くなった頃、オンラインツールで自分の顔が常に表示されるようになったことで、若手男性の美意識が向上した。

大手化粧品メーカーもメンズ向け商品の販売ラインを確立し、従来のように「スースーして脂サッパリ!」のようなモノだけでなく、保湿やケアを行う商品や、肌色を明るくするファンデやトーンアップUVなど、幅広い商品が展開されて男性のメイクは市民権を獲得した。
肌感覚として、そう感じる。

コロナ流行前から、マットなどの所謂"美容男子"の登場はあったものの、それは一種特別な(言い方を恐れないならキワモノのような)認識だったと思う。しかし、世のオヤジさん世代であるマットの父・桑田真澄が美容に没頭する息子を憂うことなく、受け入れてるし応援していると公言したのも、影響として大きかったのではないかと思う。

一昔前なら、化粧をする男子はゲイか女装家だけで、それは普通の男子にとって遠い世界の話だったと思うのだが、今や化粧品のCMやポスターにゲイや女装家じゃない、男性タレントが登場することは珍しくなくなった。

それによる一番大きな変化は、メイクという存在の捉え方だと思う。

従来、一般人の中では女性のマナーか遠い世界の住人のやるコトとしてしか捉えられていなかった化粧は、今や自分が自分の好きな姿でいるための自己表現の一種として認識が変わったと思うのだ。

ルールだから仕方なくやるのではなく、自分の心を豊かにする一つの方法へ変わったことで、私も化粧に対する意識が変わったと思う。
正直、面倒くさいという気持ちは変わらないけど、それでも前までのようにイヤイヤやる気持ちはなく、むしろ楽しいとさえ思う。

もちろん、個人的に面倒くさいと思うならしない方が楽ちんだし、それが受け入れられる世界が一番だとも思う。
メイクは楽しんでやるものという考え方が、これからも広がればいいなと願うばかりだ。

ありがとう、メンズメイクよ!
きっと、少しずつ世界は良くなってるよ。

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