#179 責務としての初詣

こう見えて信心深いのだ、私は。

毎年必ず、お詣りするのは近所の神社と神田明神。近所のは地元でいつもお世話になってる御礼も兼ねて、神田明神は芸能と仕事の神様なので心願成就と仕事に困らないようお詣りしている。

三が日最終日の神田明神はなかなかの混み具合だが、回転は早いので30分ほどでお詣りできた。

行列に並んでいる間、参道沿いにズラリと並んだ出店から漂う蠱惑的な香りに堪える。

ふと見れば周りは家族連れやカップル、友人グループばかりで、私のような独り身は見当たらない。まぁ、普通はそうなのだろう。不思議なことに、それに一抹の居心地の悪さはない。誰か友人とか誘っていれば、その子を待たせて何か買って一緒に食べながら待つとか出来るのだろうが、それはそれで申し訳ない気もする。
友人にも神にも。

ところで、並んでいる時にふと本堂の屋根を見ると、まん丸で金色に輝く鳥がいるのに気がついた。なんだあれ、あんな可愛いのがいたのか。

お詣りしている間、普段なら人混みの中でしているイヤホンを珍しく外していた。イヤホンは私にとって防具でありバフである。通常、人混みというのは周りの人間のイライラや居心地の悪さ、周りの人間の振る舞いへの不満……それらが漂い、思い空気になる中にいるのが私にはどうにもこうにも耐えられない。
だから、イヤホンで音楽を聴きそれを防ぐ。そうすれば、どうにかその周りの苛立ちにより気が滅入るのを防ぐことができるのだ。

しかし今日は違う。
不思議なことに、初詣の時はどれだけ並んでいようと周りの人間の気持ちは穏やかで、ワクワクしていて、楽しげだ。中には行列に飽きて泣く子供やキャアキャア騒ぐ若者もいるけれど、周りの反応も至って穏やかなので、イヤホンがなくても居心地が悪くない。

むしろ、周りの人間の会話が面白いと感じられる余裕すらある。こんなことがあるのか。

終始穏やかな気持ちでお詣りを終えて、お札も買い、ちょっとばかし酒とつまみを楽しんでから、裏参道から移動し二丁目にも初詣。

よき詣日和でございました。

いいなと思ったら応援しよう!