#209 生活の創造性
得てして、モノを作る人間はその創造性を過度に尊びすぎるあまり、それ以外のものをくだらないと切り捨てることが少なからずある。
手間暇かけて料理をすることや、自主的に運動をすること、健康に良いものを積極的に取り入れることを「丁寧な生活」という言葉に揶揄のニュアンスを持たせて発せられるのは、まま見る光景だ。
だが、生活の質を向上させる行為の創造性を馬鹿にするということは、人間性の否定だと私は思う。
「丁寧な生活」は、別にコーヒーを焙煎からすることでもないし、モーニングルーティンに白湯を飲むことでも、グリーンスムージーを飲むことでもない。ただ、自分自身がより快適に暮らしていくために、周辺の制度やシステムを改善し適応化させていくことを指すと私は思う。
例えば、玄関近くにカバンや小物などを突っ張りパーテーションなどに引っ掛けて目に見えるように置いておくことがあるとしよう。一見すると、モノが乱雑にかかっており、散らかっているように見えるが、忘れ物をしやすい人にとっては、出かける前に必要なものをささっと手に取りやすくなるから、この上なく機能的だ。
掃除が苦手な人がクイックルワイパーを部屋の隅に置きっぱなしにしたり、風邪をひきやすい人間が積極的に乳酸菌を摂取したり、仕事用デスクの近くに推しグッズを並べる棚を置いたりするのも、すべて自分自身の心と暮らしを豊かにするアイデアの結晶だ。
自分自身の暮らしにアイデアを見出すということは、生きることの肯定であり、誇るべき創造的な活動だと私は思う。
そういう細やかなものにさえ、自分の心を喜ばせるチャンスを見出せる日々を過ごしたい。
毎週のルーティンである、作り置きの買い物に出かけながら、そんなことを考えた。