#86 トー横ラップバトル

私が体感する中で、歌舞伎町は2度の様代わりを経ている。

最初に訪れたのは小学生くらいの頃だっただろうか。あの頃の歌舞伎町といえば、日本における歓楽街の中でもトップレベルに荒れた場所で、幼い私が見た景色はまるでディズニーランドのカリブの海賊そのものだった。
椎名林檎の歌う世界とは程遠い。

あちこちで酔っ払いが追いかけっこをしており、地面には空の酒瓶や吐瀉物、ゴミが散乱、露出の高い服を着た綺麗なお水のお姉さんは、道端で絡んできた男に舌打ちかビンタで応戦。
同じ日本とは思えなかった。

その当時はまだコマ劇場があり、私は親に連れられてそこの舞台を見にいくために歌舞伎町を通ったのだ。生臭いゴミの匂いと酒の匂い、ムンムンとした熱気に満ちたあの通りは、子供心に強い衝撃を与え、鑑賞後に家族と食べたすずやのとんかつ茶漬けも、先に見た光景からくる胸焼けのせいであまり美味しく味わえなかった。

その後、大学生になり20歳になった頃。
私は成人祝いのプレゼントととして、家族に新宿2丁目デビューをおねだりした。

幸い、叔母の友人にゲイの男の子がいたので、彼をガイドに初の2丁目ツアーを敢行。初めて案内された店に、その後10年も通うことになるとは、その当時は思ってなかった。

それ以降、基本的に2丁目で遊ぶ時はそこから出ることはないのだが、たまに歌舞伎町のLOFTでやるライブに行くなどの用事があって赴くことがあった。

その当時は歌舞伎町の浄化運動というのが盛んで、一定の効果をもたらしていた。

カリブの海賊よろしく、通りを走り回る酔っ払いの数は減り、道端のゴミも少なく、キャッチもほとんどいなかった。

かつて行ったコマ劇場も無くなって、歌舞伎町は牙を抜かれた獣のようであった記憶がある。
比較的安心して歩けるのはいいが、しかしどこか寂しさすら感じる景色だったと思う。

そして現在。

ご存知トー横キッズの登場だ。
ここ数年でかつてのコマ劇場周辺、今では東宝ビルのゴジラが見下ろすその場所では、得体の知れない10代〜20代の若者たちがたむろし、時折さまざまなトラブルを起こしている。
基本的に、こちらから接触しない限り特に害はないと思うものの、目に入って良かった景色はあまりそこに無い。

加えて、向かいに通称・ミレニアムタワーこと、東急歌舞伎町タワーも建てられたことで、カオス度合いはさらに増している。定期的なお笑いライブの会場もあることから、周辺ではネタ合わせをする若い芸人の姿も見るようになり、それがまた妙なアンバランスさをもたらしている気がする。

新宿で新たな施設ができると、私は調査員としてそこへ赴かなくてはならないという使命がある。それは、2丁目のいつもの店にルポを提供するためでもあり、個人的な趣味でもある。

ある時、私はトー横周辺の視察を決めた。
今回の場合は個人的な趣味として。

周辺を歩いていると、絵に描いたような所謂地雷系ファッションの男女が地面に座り込んで、市販薬を手に持ちながら何か話し込んだり、スマホと睨めっこしたりしている。

ふと、奥の方がやたら賑やかなのに気付いた。
近づくと小型のスピーカーを置いた広場の中央で、2人の男が何かしているようだ。

スピーカーからはダッハァン、ダッハァンというビート音が流れており、マイクを持った若い男が早口で相手を詰っている。
ストリートラップバトルだ。

この場合「詰っている」ではなく「disっている」が正しい表現になるが、マッチカードはこんな感じだった。

先攻はガタイのいい顎鬚の男で、所謂海外のラッパーらしいオーバーサイズの服と大きめなアクセサリーが目立つ派手な男だった。その大きな背中にはコバンザメのように若い女がくっ付いている。マッチ棒のように華奢な足に、やたら大きな胸が目立つ派手な女コバンザメだ。

対する後攻は、フードを目深に被った細身の男だ。エミネムリスペクトと思われるような格好は、男の痩せた体をより強調し、頬はこけて目は虚ろげ。こういう賑やかで荒々しい場所よりも、部屋でネットサーフィンしている姿の方がイメージしやすい見た目だった。

先攻のコバンザメ付き男が、唾を飛ばしながら一通りのdisを放ち、コバンザメ女が何故か自分の手柄のように誇らしげな顔で相手を煽る。
後攻の男の手にマイクが渡った。

私は、この引きこもりエミネム風男のラップが俄然楽しみになった。個人的に、私は「女!酒!金!パーティ!」みたいなラッパーよりも「この世はクソ、でも生きてく」みたいな方向性の方が好きだ。
こんなマッチタイトルなら、後攻の男を応援したくなるのが人情だろう。

私が期待の眼差しで見ていると、後攻の男がマイクを口に近づけ、もう片方の手でそれを覆い、なんとボイパを始めた。

ブーツクパーツクボンボンパーツク……と始まるボイパだが

これが

驚くほど

クオリティが低い

ボイパとは言いつつ、ほとんど赤ちゃんのバブバブ声とか、急病で卒倒した人間のうわごとと大差ない。それくらい迫力も魅力もない、ただの唇遊びだった。

そもそもラップバトルでボイパってありなん?という疑問もあるのだが、この男の振る舞いに先攻の男とコバンザメ女、そして熱心に見ていたギャラリーは一様に困惑の様相となった。
もう、誰も、どう処理していいか分からない。
そんな状態だ。

今の歌舞伎町はまさにこの、炭酸の抜けたボイパのようなものだ。見た目が派手なパッケージでも、中身にインパクトと面白みがない。

この軽薄さが、ある種昔から変わらない歌舞伎町らしさであるかもしれないのだが……

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