#199 人生ゲームのゴールマス
学歴、結婚、出産、出世……そういう物事で他者にマウントを取る人は、幸いなことに現時点で私の周りにはいない。
だが、新卒1社目の会社でそれらのステータスの無さからとにかく周りに噛みつきまくるやべー女の先輩がいた。
同年代で結婚した人の話を聞けば「でも旦那ブスだよね」とか「チンケな結婚式」とわざわざ言って溜飲を下げているようだった。もちろん、それを聞かされる側としては気持ちのいいもんじゃない。
おそらく、この人は仮に結婚や出産を叶えたところで、自分より豪華な結婚式や優秀な学校に進学した子どもなどの状況を見ては、また似たようなことをして溜飲を下げ続けるのだろう。
最終的には溜飲を下げすぎて、喉の奥とかに「溜飲瘤」とかが大量にでき、とうもろこしの表面みたいになるのかもしれない。うわ、想像しちゃった。気持ち悪い。
別にこの人に限った話ではなく、この手のバックグラウンド的な情報があたかも自分が持つ最大の武器であるかのように自慢したり、逆にそれが無くて妬んだりする人というのは、学歴や結婚が人生のゴールだと思い込んでいるのかもしれない。
一昔前なら結婚のことを「ゴールイン」とも言っていたけれど、今やそれをとんと聞かなくなったのは結婚が人生のゴールではないと気付いたからなのだろうか。だとしたら気付くのが遅すぎないか、人類。
結局、高学歴であることやリッチなパートナーと結婚したこと、神童をもうけたということは、人生におけるサブクエストをクリアしただけに過ぎない。そう考えるのは、ある種世捨て人じみてきた私だからだろうか。
学歴や結婚などの社会的ステータスが人生のゴールだと思い込んでいる人は、いつまでもその話をする。悲しいかな、きっとその人の中でそれ以上に人生を輝かせるものが無いからなのかもしれない。
それはある種、極端なほどの自己肯定感の無さからくる病的な自己防衛本能なのだろう。そのステータスがありながら、自分の幸せを追求できないことほど不幸なことはない。
人生ゲームのゴールマスは億万長者の土地に行くか、開拓地に辿り着くかで終わる。その途中にある就職や結婚、出産はすべて通過点だ。そして残念なことに、現実における人生の果てには億万長者の土地も開拓地もない。
人生における真のゴールというのは「死」をおいて他にないのだ。
それはあらゆる人間が平等に向かっていく最終到達点であり、それが早いか遅いか、良い終わり方か悪い終わり方かは、その人の運と少しの努力で多少の差が出るだけである。
だからもし、東大に合格することが本当に人生のゴールだというならば、合格した瞬間に運命に殺されてしまうのは避けられないだろう。
「合格おめでとう!死ねー!」
「ぎゃー!」といった具合に。
そんなめちゃくちゃなことあってたまるか。
じゃあ、東大に合格したらその後どうなるか。
東大での学園生活が始まるだけだ。
じゃあ結婚したら?
結婚生活が始まる。
出産したら?
育児が始まる。
ただ、私たちは様々な形の新しい人生のフェーズを初めては区切りを迎え、そしてそれを永遠に続いていく。それだけなのだ。特定の宗派で、この世が地獄の一つとして考えられるのはこうした無情さゆえなのかもしれない。
じゃあ、ルーレットを回そうか。