#200 私は給食を食べたことがありません

給食を食べたことがない。
そう言うと、大抵の場合人に驚かれる。

「ABCスープ知らないの?!」
「びっくり目玉焼きも?」
「ミルメークも飲んだことないの?」

矢継ぎ早にやってくる「あるある」な給食メニューを聞いても、すべてに心当たりがない。私の記憶には存在しない味と思い出が、きっとそこには詰まっているのだろう。

Web系の動画制作会社の同僚とそんな話になってカミングアウトすると、彼らは不思議そうな、それでいて僅かな憐憫の情すら含んだ目で私を見る。

いつも、職場とかで学校給食の話題になると私は空気のフリをして隅の方で静かにしていた。私にはその手の思い出話に乗れる手札がない。しかし、今日はそれが少人数だったことと、ランチタイムを彼らと過ごしたことでその手段が使えなかった。

「給食そのものは食べたことあるよ」
私はそう答える。とは言っても、それは学校で食べたのではなく、ある程度大人になってから給食料理を提供するレストランで食べたことを指している。

彼らが熱く語る給食がどんな味か確かめてみたくて、何年も前に行ってみたのだ。結果として、それは給食を食べたことにはならないと私は悟った。

料理そのものは美味しかったし、なんとなく自分の中には存在しないはずのノスタルジーが刺激された感覚はある。だが、どこまでいってもこれはただのシミュレーションの一環でしかなく、ままごとの域を出ない。

ままごとをしても本当の育児の大変さを知れないように、給食レストランで給食を食べても本当の給食を食べた体験にはならない。それを知ったに過ぎなかった。

そんな話をしたせいだろうか。
数週間後、同僚がイタズラっぽい笑みを浮かべながら私にとある住所と一緒に社内チャットでメッセージを送ってきた。
「ここに来てね」

新しい仕事の依頼だろうか。
いわゆるドッキリ企画的なものかもな、なんて思いながら指定された場所に行くとそこは廃校になった小学校だった。

廃校になっているとはいえ、中は綺麗できちんと整備されているようで、まるで今でも生徒たちが通っているような気配すらする。
指定されたとある教室の扉を開けると、そこには同僚たちがいた。

「転校生を紹介する」
教壇の前に立っているのは、係長だ。なるほど、こういう悪ふざけねと気付いて私は笑いながら先生役の係長の隣に立つ。

眼前には、小学生らしいコスプレをした同僚たちがいる。まるでコントの撮影だ。

係長……いや、先生から自己紹介するよう促されて、私は自分の名前を言う。

「どっから来たのー?」
「金持ちー?」
「こら!男子、静かにしなさい!」
「うるせーよ、委員長ー!」

同僚たちがそんな茶番を繰り広げているのを、私はただ笑っていた。先生に促されて後ろの方の空いている席に着席させられると、そのまま授業が始まった。

「このまま今日は学校で作業します、とかじゃないんだ」
と私は思ったが、先生は国語、算数、道徳などを進めていき、ときどき居眠りをする生徒にチョークを投げつけたりしている。ドラマやアニメでしか見たことがない光景の中に、自分がいるのが、なんだか可笑しかった。

そして昼時になり、給食の時間がやってきた。

私は先生の指示に従い、給食係の白衣と帽子を身につけて、他の同僚……同級生たちと大鍋やバットに入った給食を受け取りに行く。無骨な銀色の容器に収まったそれらは温かく、とても尊くて大切なもののように思えた。

教室に戻って、給食の配膳を行い私も自分の分を盛り付けて席についた。

「いただきます!」

手を合わせて大きな声で言う。
銀色のプレートの上には、鶏肉の甘辛煮、わかめご飯、キャベツサラダ、冷凍みかん、そして牛乳とミルメークが並んでいる。

同級生たちと交わす話は仕事の話ではない。徹底して今日、午前中に学校であった出来事やゲーム、漫画、昨日見たテレビの話だけだ。

「ずいぶんこだわってやりこむなぁ」
そんなことを思いながら、私もその輪の中に入って話を交わす。が、ここまでやるとなんだか自分の中にないはずの記憶で書き換えられていきそうな気すらした。

「食い終わったらドッヂボールしようぜ!」
同じ席の子がそう言う。
「じゃあその前に冷凍みかんジャンケン!」
その一声で数人の生徒が教室の前の方に集まり、ジャンケンを始めた。もちろん、私も一緒だ。結果は私を含めた数人が勝ち、周りから羨望の眼差しを向けられ、嵐のような歓声を全身に浴びた。

冷たいみかんを握りしめながら、私は段々自分が小学校の頃……本当の小学校の頃の記憶が思い出せなくなっていることに気付いた。

タッくん、ルリちゃん、コウタくん、アイちゃん……いたはずの本当の同級生の顔が思い出せない。名前もどんどん曖昧になっていく。そもそも、私が通っていた小学校の名前は?花壇に植っていた花は?教室で飼っていたのは何の生き物だったっけ?どの部活動をしていたんだっけ?そもそも私は、給食を食べたことが本当に無かったんだっけ……

「起きて、起きて」

肩を叩かれる感覚で目を覚ます。いつの間にか、職場の休憩スペースで居眠りをしてしまっていたらしい。起こしてくれたのは先ほどまで一緒にランチをとっていた同僚だ。

「そろそろ休憩終わりだよ。うなされてたけど、どうしたの?」

私は混乱する頭の中で、ふと左手に何かあるのに気付いた。表面がしっとりと濡れた小さなみかんだ。思わず笑って私は言った。

「記憶違いだ」
「何が?」
「私、給食を食べたことがあったよ」

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