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水星の魔女1話に抱く違和感

※本稿の意図は描写の揚げ足を取って作品を批判することにはなく、欠落しているように思われる点から物語の考察を広げることにあります。予めご了承ください。

水星の魔女と言う割に…

 本作のタイトルは「水星の魔女」。第1話においても「水星」というワードが何度もセリフに登場する。
「水星から来たってホント?」
「水星人て普段なに食べてるわけ」
「水星ってお堅いのね」
 しかしながら本作1話時点では水星の様子が映像で描写されていない。ゆえにスレッタが水星圏からやってきたという映像的な印象付けがなされないままスレッタが水星出身であることを前提に話が進むので、これらのセリフも上滑りしているように聞こえる。
 スレッタが「行ってきます」と言って水星圏を出発する1カットでもあれば印象は変わったのだろうが、それすらないので我々は水星という要素をタイトルやあらすじなどのメタ的な情報源とセリフの端々にしか見出せないのである。
 大事な情報を映像で描写せずセリフやナレーションで処理するのは予算不足のB級映画にありがちなことだが、これはアサイラム社のモックバスターではなくバンナムが誇るビッグタイトルだ。何か意図があってのことと見るべきだろう。

実は水星出身ではない?

 水星の描写を映像化する意思はあって第1話ではたまたま尺の都合で省いただけだったということでないならば(1番あり得そうだが)、先に述べたような「行ってきます」のシーンすらなかったことには、それを描写してしまうと何らかの不都合が生じるという理由がありそうだ。例えばミスリード。
 そう言えばスレッタは「水星から来たってホント?」という質問自体にはYESともNOとも言ってない。

つまり実はスレッタは水星出身ではなく……⁈

……小説「ゆりかごの星」にはガッツリ水星の描写があるしスレッタ自身も「水星を豊かな星にするため」と言っている。水星というワードがミスリード説はなさそうだ。

パイロット科であることの違和感?

 では「水星を豊かな星にする」というワードに着目してみよう。小説ではこの点についてより掘り下げられていて、「学校や街、友達や子供……地球圏では当たり前のものが、ここにはない。」と水星での生活が地球圏のそれとかけ離れていることが示される。だからこそスレッタは「私がんばる。誰も死なない水星にするの。街もお店も学校もいっぱい呼んでくるの」と言う訳だ。
 ならばアドステラ世界の限界クソ田舎こと水星の様子を映像的にも示したほうが「水星を発展させるために学校で勉強する」というスレッタの動機により説得力が生まれるのではないか。
 しかし制作陣はそうしなかった。なぜなら、そこに説得力を持たせてもしょうがないから。
 本作は(今のところ)ロボットバトル学園コメディ百合アニメであって島耕作シリーズではない。水星を経済的に発展させるサクセスストーリーをやるつもりがないなら、その点を掘り下げることよりも学園モノとしての描写にリソースを注ぐべきだという判断だろう。
 そしてスレッタの入学動機に説得力を持たせ過ぎてしまうと「じゃあなんで経営戦略科に行かないんですか(正論)」というツッコミがより強固になる。ロボットバトル学園コメディ百合アニメをやるにはノイズとなってしまうだろう。水星の発展云々は表向きであって母親の本意はロボットバトルのほうにあることは小説で明かされているが、本編1話時点ではまだその辺りの話をぼかしておきたいという都合もあるはずだ。

アスティカ高専はバランスが悪い

 スレッタのみならずアスティカ高専には「なんで経営戦略科に行かないんですか」と言いたくなるキャラが多数いる。物語がベネリットグループ内のゴタゴタと強く結びついている以上、登場するキャラはベネリット関係の御曹司が多くなり、それらのキャラはいずれモビルスーツに乗ってスレッタの前に立ちはだかる都合上パイロット科にしておく必要があるから構造上しかたのないことではある。
 しかしベネリットグループが運営する学校にわざわざ経営科が設けられているということは、将来ベネリットグループを支えるマネージャー層を育成したいという意向があるはずで、そこに集まるのは自分の子を将来的にグループの偉い地位に付けたい重役のボンボンやガチで学才のある生徒だろう。つまりエリートとして扱われるのは経営科のはずだ。しかし本編ではスレッタがパイロット科と聞いて「エリートじゃん」と言われるようにパイロット科がエリート扱いを受けている。
 このような逆転現象が起きた原因をメタ的な点ではなく物語内に求めるならば、この学園の最も特異な点、すなわち決闘システムに着目するのが必然だ。つまり昔は重役たちが自分の子を将来的にグループの偉い地位に付けようと経営科に送り込んでいたが、ホルダーとなって総帥の婿養子となるルートが出来てからは自分の子をホルダーにしようとパイロット科に送り込むようになり本来ならば経営科にいくようなエリート層が集まった結果パイロット科=エリート層という認識になってしまったのではないか。

婚約権闘争の実際

 もちろん決闘による婚約権闘争の存在を前提とした環境が構築されるほど時間的猶予があるかという反論もあろう。ミオリネが二年生であり学年末であると感じさせる描写がないことを考えるとガンダムファイトの開催期間は1年と少ししか経ってないはずだと。
 しかしガンダムファイトの終了条件を考えると、もっと長い期間続いていたという可能性が浮かび上がる。勝利条件の一つはもちろんホルダーになること。だがグエルがそうだったように、ホルダーになっただけでは後に敗北してその座を追われる可能性があるから勝利が確定したとは言えない。つまりこれ以降ガンダムファイトが発生しないという状況にならないと勝利者が確定しない。それはどんな状態かと言えば、現ホルダーが卒業してしまうことに他ならない。すなわち婚約権闘争の勝利条件とは「ホルダーの地位を確保したまま卒業すること」になるはずだ。
 であるならば、現ホルダーが年下に敗北した場合、それはガンダムファイトの開催期間が実質的に1年間延長されることを意味する。ホルダーの座が先輩から後輩へと(不本意ながら)脈々と受け継がれるならばガンダムファイトは延々と続くことになる。ミオリネの在学期間を超えて戦いが続く可能性がある以上、開催期間をミオリネの在学中に限定する意味はない。ミオリネの入学前、なんなら生まれた時から将来の婚約権を巡る争いが始まっていてもおかしくないはずだ。(そうなるとミオリネが「トロフィー」と呼ばれることの意味がますます重くなる)

決闘の大義名分

 そこで気になったのが、「婚約権が欲しいから俺と決闘してくれ」というのが許されるかどうかということだ。一度ホルダーになってしまえばそのまま卒業して勝ち逃げすれば良いのだから決闘に応じるメリットはないし、ホルダーに婚約権が付くというのが裏メニュー的な扱いならば直接それに言及することはマナーに反するということもありそうだ。
 つまり実際は婚約権を巡って決闘を挑むにしても、表向きは別の理由を設ける必要があるのかもしれない。1話でグエルにボコボコにされた彼も決闘の大義名分をつくるために挑発したという事情がありそうだ。
 

 


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