「苔むさズ」 #08
9月も半ばを過ぎ、港には秋晴れのカラッとした風が吹き注ぎ、
夏場はジトジトと吹きだまった埠頭の水際は、ふんわりと良い潮風の香りすらした。
港近くに連なる、高く昇った陽を受けた古い70年代のビル群は、秋晴れの青空の乾いた白く舗装された道路に濃く長い影を落とし、その黒い影と白い海岸通のコントラストはまるでピアノの鍵盤の様に綺麗に配列されていた。
その70年代のビルヂングズは主に室内干しかほんの小さな物干しの付いた窓しかない場合が多く、ベランダがないせいか、大きな黒い四角い塊のように見えるものが多い。固体の存在を浮き出すだけで、内部にどんなドラマがあるのかすら把握できない神秘を醸していた。
そこにいる人々が昭和なのか平成なのか、またはもっと前の人なのか、どんな言葉を喋る人種なのか、港の古いビルヂングズはそんなことはどうでもよい、我々は廃れていくまでここにいるだけだ、と言うかの様に不思議な強さと憂いをもっていた。私はそんな怪しい影をもつ港が大好きだ。
外国からの貨物も人も、別れも出会いも生も死も、港にはずっと受け入れてきた歴史がある。
ここにくれば、なんでも受け入れてくれるような気がした。
ゴリさんの「秋の港でデート」は無事9/15に刊行し、この3日ほど振替休暇を取得中だ。
いつまでが休暇なのかはわからない。
私は相変わらず、数百枚のポジのスキャン係の傍、QuarkXpressの取得で精一杯の毎日だった。
最初は片ページのさらに半分、見開き1/4ほどのスペースの連載エリアの見出しデザインとイラストレイアウトの依頼が、さやさんの指示で入ってくるのみだった。が、案外飲み込みの良かった私は、短期間でQuarkXpressのシンプルな機能とコツをどんどん習得してしまった。その結果見開き1ページの連載のレイアウトデザインを任される様になった。
それでも、尚、ノリコさんからの「子供」扱いは続いており、最近では私のキャラクターとして形成されつつあった。
目立った失敗がなくても、半ばネタとして「子供ちゃん〜」などと呼ばれたりするようになった。
「ねえねえ、こどもちゃんさ〜なんか今日かわいいかっこしてるじゃん〜」と、仕事とは全く関係のない、しかも普通の会話ですら使われるようになったくらいだ。
それは、ノリコさんやヒロシさんのような、アドビ社のIllustrator 5.0のデータで入稿し続け、印刷会社の面つけ係から戻しがきてしまうメンバーにとっては、QuarkXpressの完全データで入稿できるQuark組への敵対心と防御心理ではないかと推測できた。
それでも尚私の未熟さはいつまでも話のネタになった。PCのツールが使える様になっても重要な印刷の知識が乏しい部分が露呈する事には依然変わりはなかった。むしろ、ソフトウェアを使いこなせる様になると、本来ならば先に溜めておくべき印刷の知識を知らないでいて平気でいる方が、ノリコさんやサヤさんの様な印刷の仕上がりにこだわりを持っているメンバーには特にマイナスポイントと映ったに違いなかった。
8月の終わり頃に自分が担当していた見開きページの折の部分の”のど”を、片側4.5mmずつしかとっていなかった私は、初稿があがってきた際に、本文が本の中央にかなりよってしまい、さらには小口(本文からページを見開いた両端までの隙間)をたったの5mmしかとっていなかったために、左右に余白のない雑なレイアウトになった事をさやさんから厳しく指摘された。
小口は、特にページ数の多い冊子の場合、中心によるほど、印刷時のカットが大きく影響され、小口を多めにとっておいた方が良い事もさやさんから学び、当然レイアウトのやり直しと、そのために削らなければならない文章を編集さんに伝えねばならなかった。
「次間違えるとマジでやべ〜ぞ。お嬢。あとさ〜スキャン終わってねーじゃん。はやくね〜」いつのまにかお嬢というニックネームを多用し始めるモトヒロさんは、相変わらず私を追い立ててきた。
たったの3日なのに、ゴリさんのいないオフィスは、まるで機械に囲まれた工場のように無機質さを放ち始め、とても心細くなった。
私は昼休憩時は一人、オフィスから徒歩15分ほどの、ショウタ君と最後に会ったカフェの近くで時間を過ごしていた。りんちゃんは「どこへいくの?」と寂しげにセーラム・ピアニッシモをくわえた口から煙をふわふわと吹き出しながら私の様子を伺ってきた。
「ほら、私、たまに一人でご飯たべるじゃん?」という回答が、これで3日目になったので、いささか、私もリンちゃんに対して申し訳ない気持ちになってきて出口で立ち止まった。
と、突然りんちゃんが、どこに向かうでもなくこういい放った。
「マジ、ゴリさんはやく帰ってきてよね〜。調子でないんだけどぉ〜。ゴリさん大好きなんだもん!」と、
りんちゃんをみると、りんちゃんはいつもに増して可愛らしい笑顔をみせていた。
こんがりと小麦色に焼けた肌に真っ白な歯とまるでハーフのような大きく青い目。
こんなに可愛らしくあどけなく、素直な子供のような…そう、私の「子供」とは違う、
仕事ができるのに子供っぽくはしゃぐ年下の彼女は、私には到底追いつき、入る事のできない、キラキラと輝くオーラに包まれていた。
その時から、私は直感的に、
りんちゃんが恋をしているのではないか、と思うようになった。
[続く]