<清潔な流し台を鮮血が走る>
『みんな春を売った』から続く物々しさが、『市場』でもむき出しになる。
甲高いブレーキ音のような弦が響く、だけど音楽のブレーキはかからない。
リフレインするギターのラインは思ったよりキャッチーだが、音のリズムと言葉のリズムはずれている。
そのずれを噛み合わせて一つのメロディに組み込んでいる。
そんな感じがする。
難しい曲だと思う。
ドラム、ギター、歌が、それぞれ別の曲からトリミングして重ねたような。
それぞれが独立しているように聴こえる。
コラージュのようだ。
<すすめ 純粋無垢な憎悪のかたまり>
サビでひとつに統一される、不思議なカタルシス。
ベースの存在感もいつの間にか増していて、バラバラに作られていた飴の生地がひとかたまりに混ぜ合わされ新しい色を作っていたような。
飴のように甘い曲ではないが。
言葉のブレーキもかからない。
この歌詞が比喩するのはあれか、これか、それか。
渦中に居る者は、主観は、その行為が悪質か判断できない。する必要も無い。
省みた時、それは時に歴史と呼ばれる、渦中から外れた時初めて自分のおこないの悪質さを知る。
そんな自分の解釈。
この歌詞割とストレートな悪口ですよね。
好きです。
間奏のみょんみょん言ってるのがギターなのかベースなのか判断つかなくて申し訳ないんだけど、最近聴く曲がみょんみょん言ってるのが多いので、10年前から流行先取りしてんじゃ~んと意味の無い感想を抱く。
(みょんみょん言ってる曲→クリープハイプ『本当なんてぶっ飛ばしてよ』TOOBOE『錠剤』)
間奏のカオスさを持ち越して、前半とは違うアプローチで後半へ続く。
キャッチーだと思ったギターのメロディは去り、ジャギジャギと攻撃的なリズムが曲を進行させる。
出だしから攻撃的な音だったが、怒りや鬱屈した力は思ったより抑えきれず、圧縮され続けて悲鳴を上げている感じ。
規則性が見えないリズムは、ジャズっぽさも感じる。
<暗闇は見えるよりはるかに広大なスペース>
<光はきみの想像に制限をかける>
圧縮された力で押し出されたのは、People In The Boxがたびたび投げかける、「想像力」へのアプローチ方法。だと思う。
見え過ぎると想像力は発揮されない。
「想像に制限をかける」と、今ある想像力を否定せず、きみならもっと想像できるのに、と語り掛けるような表現が、素敵。
目を閉じる事も闇に身を浸す事も、悪い事なんかじゃない。
少し切なくなるメロディーが、メロウで良い。
<むせかえるほど濃密な空気があるよ>
これまでがカオティックだからこそ、シンプルなギターの旋律が美しく耳に残る。
リズムを推進させるドラムのビートが曲の骨太さを忘れさせない。
そして、ベースがキメるラスト。
世界観を変えたギターの音を、ドラムのビートが繋ぎ、ベースがまたカオスな世界観へ戻す。
どちらにも行ったり来たり出来るドラムのおかげで、色んな要素のある『市場』がばらばらにならずひとつの作品として繋ぎ止められている気がする。
『Ave Materia』自体、バラエティに富んだアルバムだと感じる。
『ダンス、ダンス、ダンス』はポップさ、分かりやすさ、明るさを持っているけど、『割礼』『みんな春を売った』『市場』は分かりにくい方だと思う。
(これは感覚的な事を言っています。)
それらバラバラバラエティをひとつに貫くものが何なのか、まだ見えていない。
ここまで聴いてもまだ見えない。
あと2曲でその正体が見つかるだろうか?
見えなくてもいいけどね。
見えなければ想像力を働かせるだけ。
暗闇は我々の想像力に制限をかけない。
先にリンクを貼ってしまったのでずーーっと尾崎世界観の顔を見ながら文章書いてました。だから今回「世界観」って単語をいっぱい使っちゃったのかな。やだやだサブリミナル。
『錠剤』は年齢制限があるそうです。確かに可愛いアニメ絵でエグいストーリーを展開するという非常に好みの好みの分かれそうな映像作品でした。アウトロー映画が好きな方は、ぜひ。