もう大丈夫
リリース時、「絶対大丈夫じゃない」と思ったのを覚えている。
実際に聴いて、「あーやっぱり大丈夫じゃなかった」と思ったのも覚えている。
2014年8月6日リリース。
10年経って今はどうか。
ワン・テンポ遅れるピアノのリズムが、不安定感を描く。
<知っているよ 知っているよ>
<きみはいま大丈夫じゃない>
<笑顔でいるから>
<なおさら なおさら>
そう大丈夫じゃなかった。
本当は"大丈夫じゃない"のに、取り繕う"不自然"さを見透かしている。
当時は自分も若かった。
年齢に伴って精神も若かった。
だから「大丈夫じゃないと歌ってくれるこの曲は、救いか?」と確かめるように聴いていた。
正直、期待とは少し噛み合わなかった。
音楽を聴いて「救われた」と感じた事のある部類の人間だが、『もう大丈夫』というタイトルのくせして、この曲はちょっと違かった。
アルバムのキーワードに"自然"を挙げた。
『もう大丈夫』は、"不自然さ"の否定によって"自然であること"を語っているのではないだろうか。
"大丈夫じゃない"自分に嘘を吐くなと。
"大丈夫じゃない"で良い。
そのありのままが、自然な姿であると。
そう聴けるようになったのは、割と最近のような気がする。
ライブで聴く事が多かったが、何回聴いても<もう大丈夫さ>は力強すぎて、自分が期待していたような優しさだったり、背中を押してくれるものは感じなかった。
いつからか、印象に残るフレーズが変わった。
<こころと顔は離ればなれ 思い出はきみを変えていくよ>
<束の間の連続にしたって痛いの痛いの飛んでいかない>
痛いの痛いの飛んでいかない。
この歌詞の意味が分かった瞬間、「この曲は救いを求める人に向けて歌ったんじゃない」と気づいた。
意味が分かったというより、聴き続けて初めて共感できた瞬間、かもしれない。
そして"気づいた"というより、自分が歳を重ねて感じ方が変わったのかもしれない。
思い出が人を変えていくという事も、何となく経験し始めていた。
だからこそ『もう大丈夫』の歌詞の凄さというか、深みを感じて改めて好きになった。
<楽しくもなく笑うきみは氷のように美しい>
この歌詞も好き。
行きたくない飲み会では心にこのワードをしのばせて行きます。
<なにがあのひとにおこったんだとみんなが首を傾げている>
<なにひとつおこっていないよ>
<ただ生きているだけ>
そしてやられたキラーフレーズはこちら。
思い当たる節があるだけに、縦ノリで揺れながら(そうなんだよ・・・)(別に何も起きちゃいねぇんだ・・・)と噛み締められる曲は、『もう大丈夫』だけ!
"大丈夫じゃない"自分に嘘を吐かない。
"大丈夫じゃない"で良い。
ありのまま、自然体でいることにシフトチェンジしたら周りから「おかしくなったのか?」と思われる。
このような物語は想像できる。
そしてその答えも用意されている。
ただ生きているだけ。
そして本当はそうしたくても、できない人が多い事も想像できる。自分も含めて。
ただ、常識の合間をたまにかいくぐって、周囲から見れば"狂ったように"見えても"不自然"をやめて良いと思う。
例えば、ライブに行くとか。
サウンドもだいぶ大丈夫じゃない。
文頭の通り、ピアノは拍の遅れた打鍵を続けるし、ドラムは癒しよりも緊張感をもたらす。
極めつけに1分30秒頃から登場するベース。
最初は存在感を消すように控え目なアクセントだったのが、1分55秒に到達すると、だいぶデカめの存在感を放ってくる。
よく聴いていると、楽器の数が増えていくだけなのにとても色鮮やかな音がするなぁと驚く。
ピアノ、ドラム、ギター、ベース。
重ねたり効果を加えたりはあると思うが、めまぐるしく音が変わっていくと感じるのは、歌のメロディラインを合わせて5つのフレーズがあり、その組み合わせによって新鮮に聴こえるからではないだろうか。
ラーメンの味変みたいな・・・
<もう大丈夫さ>のリフレインに聴き入っていると、ラップのように矢継ぎ早な歌詞が耳に入る。
それに圧倒されていると聴こえてくる<痛いの痛いの飛んでいかない>にグッとやられ、染み入っているうちに再び<もう大丈夫さ>のリフレインへ戻っていく。
韻を踏んでいるわけではないので、ラップとは呼べないかもしれない。
ただ、音楽に乗せて矢継ぎ早に知的な言葉を羅列する歌唱について、当ブログではインテリラップと呼んでいます。
という事で、早口パートはインテリラップと定義させて頂きます。
言いたい事はただ一つ。
たまらんという事です。
3分56秒からは、<もう大丈夫>とインテリラップすらも重なって、全楽器総動員のオールスターサウンドになる。なんかもう全部盛りで凄い。
明らかに大丈夫じゃない。
興奮で。
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イラストの話。
<電話くれてありがとう 心配なんかしてくれて>
こういう歌詞が登場するのは意外だった。
(自分は良い意味で捉えているが)People In The Boxの歌詞には孤独があり、一人で生きていく強さを度々メッセージとして受ける。
だからこそ、『八月』で<突然 誰かにあって話をしてみたくなった 傷ついても>と、他者との関りを望む歌詞が鮮明に印象的だった。
『もう大丈夫』も、"(自然であるために)狂ってしまった"主人公に対して、心配してくれる他者が登場するのが意外だった。
そして、「ありがとう」と相手を受け入れる事も。
心配してくれる他者を跳ね除けないのが一番の救いだったかもしれない。
畢竟、人間は社会性動物であるからして完全な孤独には成れないと自分は考えている。
だからこそ、完全な孤独は"不自然"だ。
人によって輪の大きさに違いはあれど、他者との繋がりがある方が"自然"だ。
2000年代ロックが好きな同世代なら、半径5M(ファイブエム)程度が多いかもしれない。
だからイラストの少女も、大丈夫じゃなさそうな中に繋がりの救いを描きたかった。
フォルダを整理中、『バースデイ』のイラストが目に留まった。
イラストは割と気に入っていて、少女が何を考えているのか、手を止めて想像した。
人によって受け取る印象が変わる絵を描くのが目標だ。
その時は、「この子なら<大丈夫じゃない>人の話を黙って聞いてくれそうだ」と感じた。
この2人が繋がってくれていたら、良い世界だなぁと思う。
06:22~