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I believe in Nikon.

Nikonが一眼レフ機の国内生産を終了する。

The story of F5.

Nikon F5の中古品を購入したのは、2014年の6月だった。
図書館の写真関連本コーナーにF5の書籍があり、それを読んで物欲がわいたのだった。

まさか、F5を所有する、いやできるとは思ってもいなかった。亡くなった親父がカメラ好きで、僕が中学生の時にF801を所有していた。「写ルンですでええやん。何が違うの?」と、聞いたぼくに「自分の撮りたい写真がとれる。」親父はそう答え、「なんで? なんで?」と食い下がる僕に、レンズや露出やシャッタースピードやら、当時の僕には全く理解できない話をしてくれたのに、「高いカメラを買って、無駄遣いをしている。」僕はそう結論付け、写ルンですを持って出かけた。
その時、親父の話が 理解できていたら、思春期の親父との付き合い方が随分と変わっていたかもしれないのに。

親父の話が理解できるようになった僕は、F5を中古で手に入れた。
写ルンです10台ほどの値段で。
思春期の娘には無駄遣いではないことを、十分言い聞かせた。
いい時代になったもんだ。

F5を購入してすぐに、ニコンのサービスセンターに点検に出すことにした。
なにせ15年前の機体だ。色々無理もしてきただろう。きっとがたが来ているに違いない。この際、直せるところは直しておこう。そう思って、電車に乗り込んだ。

F5は1996年発売。ニコンの35mmフィルムカメラで、当時のフラッグシップ機。プロも使用していた、ニコンの最強モデル。
僕の購入したF5もプロフォトグラファーの手中で世界中を旅し、砂漠の乾ききった風から、極地の凍てついた空気までをも切り取ってきたかもしれない。
ひょとして、宇宙にも。
そう、F5はNASAに採用され、スペースシャトルのクルーとともに宇宙に行ったことだってあるカメラ。それほど信頼性の高いカメラなのだ。

「F5の点検をお願いしたいのですが」
ニコンプラザ大阪で、カバンの中からF5を取り出しながら話しかけると、
「F5(エフ ファイブ)」
サービスセンターの男性はそう言った後、間をおいて
「ですか・・・」と、僕の手元に目を向けた。
マグネシウム合金の鎧をまとったF5は僕の手を離れ、ゴトリ、と重い響きを残してカウンターに寝ころんだ。
擦り傷のあるがっしりとした、古武士然たる機体。
男性は50代半ばくらいだろうか、両手で、丁寧にF5を抱え上げると、無駄のない動きでくるくると回転させ、状態を確認し始めた。マジシャンがトランプをあやつる様に、軽やかだが、正確に。

そして、F5が息を吹き返した。
ファインダーをのぞいて、シャッターを押した今、この人はF5に命を吹き込んだ。確かに吹き込んだ。
F5に色が戻り始める。

この人は、このカメラの歴史を知っている。
ニコンが妥協せずに作り上げた、毎秒8コマを機械送りで寸分の狂いもなくたたき出すF5の実力を、ねじ一本まで知り尽くしているに違いない。
職人、その道のプロの手の中で、F5が覚醒する。
艶、色気、風格、フラッグシップとしての矜持を身にまとい、F5が起き上がる。

不思議な時間だった。

このようにカメラを扱う人を見たことがなかった。
量販店でデジカメを購入した時、よくしゃべる店員さんにカメラはこのように扱われていただろうか?
「何か不具合や、気になることでもございましたか?」
男性は口元をゆるめながらも、僕に鋭い視線を向けた。
「いや、中古で購入したばかりで、状態がわからないので点検してもらおうかと思ったんです。露出とか、ピントとか、その他いろいろ大丈夫なのかなと不安で。ちゃんと撮れますかね?」
「そうですか、見た目状態はよさそうですが、チェックしてみましょうか?1時間ほどかかりますが、どうされますか?」
「お願いします。」

「何も異常はない。」1時間後にそう聞いた時、「えっ、大丈夫でしたか?」と思わず聞き返した。
「F5ですから」
男性は微笑みながらさらりと言った。

「F5ですから。」
僕は帰りの電車の中で、このセリフを何度も反芻した。

Made in Japan.

I belive in Nikon.

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