昨日の私に手向ける花
という理由で花を買っているわけではないが、なんとなく、毎日毎日、昨日の私が報われたら良いなという願いを込めてたり込めてなかったりする。
まあ、そう願うのは時々であって毎回ではない。ふと過去を思った時に私がそれに縋らないように、という自戒を込めたということを都度思い出せるようにそう思うことにしたわけで、花たちはたしかに餞別として過去の私と共に昇華されるのだが、こんな理由は後付けでしかない。
花が可愛いから買っているのだ。
とはいえ花を買う習慣がついたきっかけはちゃんとある。
始まりは、憧れだった雑誌の仕事のギャラを貰った時だった。
私は高校生くらいの頃から大体金に困っていた。
働けど働けど生活費やその他雑費に消えていく金。
お金の余裕は心の余裕って言葉も多分すでにこの頃から身にしみて実感していたと思う。フレッシュなJKライフを夢見てたのに、現実はゴリゴリに疲弊していた。
生きてるだけで金がかかることを悟った16歳。
我ながらマセたガキだなと思う。
私はただ真っ白なレスポールのギターが欲しかっただけなのに。
金は生命線維持費として消えていくものという認識だったので、その当時のギャラも当然、翌月の家賃に充てられるものではあった。
そして浮いたお金で私はコンビニでコーヒーを買うし、チョコレートを買うし、ご褒美と称して半額シールの付いたお刺身パックをスーパーで買う。
やめようと思いつつさしあたって辞める理由も無かったのでずっとこんなことを続けていたのだが、今わたしの手元にあるこのお金はいままでの生活ルーティンで毎月25日に自動的に振り込まれてくる方のお金ではない。
憧れだった仕事をこなした対価で受け取ったお金だった。
わたしにとって価値のあるお金を惰性で使ったら、今まで通りのだらしない生活が続くかもしれない。
そう考えた私は、コンビニへむかうのをやめて駅前の花屋でオレンジ色のガーベラを買った。余談ですがわたしはガーベラが一番好きなんです。めっちゃ可愛いかった。
そんなわけで私は
嬉しいことがあった時、頑張った時に花を買うようになった。花は可愛い。可愛いを手に入れるために使われてお金もきっと喜んでるだろう。
実際に家に花があると生活空間が華やかになってとてもいい。
QOL爆上げとはまさに
2021.7.4
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特別な事があったときに花を買うんだけど
今回TOP画に掲載してる花を買ったのが
所謂"映え"を求めて買ってしまった花で
結局愛でることなく枯らしちゃって
悪いことしたなあっていうことが書きたかったんですけど、前置きが長すぎてオチ繰り出すのが面倒くさくなって放置して8月下旬になってしまいました。
なんかこういうことないですか?
自分の心の平穏とか、元気とか、気分を上げるためにやっていることで"ウケ"を狙おうとすると良い流れみたいなのが一気に無くなっていく感覚。
目に見えないものがシラけてく感じ。
なんかそういうことを言いたかったんだけど
時間が経ちすぎていいやとなってしまった。
まあそんなかんじです
2021.8.2
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