見出し画像

日記

5月に入ってから気持ちが切り替わって、空気が軽くなってきたと感じてたんだけど月曜日くらいから謎に気持ちがソワソワし始めてきた。身軽にはなったけどなんとも言い表せないいつもの私の中の重たいあの感じが膨らんできてる。引っ張られそうなほど支配されてはいないし重たくもないけどなんか嫌な気持ちセンサーみたいなのが過敏に働いてて、人混みの景色とその中の人と人との会話がノイジーに感じて吐きそうになる。新宿のゴミゴミした交差点や駅のホームがきつい。イヤホンの変換ケーブルが壊れたから新調したんだけど、「有線なのに音声はBluetooth経由で再生される」って仕様にいまだに納得できてない。でも買っておいて良かった。街中ではイヤホンガンガンにしてうるせー音楽で耳栓をしてなんとか平気でいられてる。メルカリで300円。
こんなことになる数日前までは街中の音を聞きながら歩くのもいいなって思ってたのに急に無理になるの不思議。

こんなこと、をうまく言い表しきれないけどうまく表現するほどのことでもないな、と最近は思えるようになった。至って私は健康で、もうこんな気分に支配される奴隷じゃない。
こんな時に自由に”ご自愛”の時間が作れるような生活が送れるようになったおかげでなんとかうまく世界とやっていけてるような気がしてる。
でもだいぶ自己中心的な生活をしているので反省もしてる。

私はこうやって自分を救う方法しか知らない。これがいつか誰かのための自分になれたら一番いいんだけど、今のとこわからん。ごめんね。
同じような夜を送るみんながどうか誰かや何かに救われて元通りの生活に戻れますように。って、どうか健やかでいてねと誰かに思いを馳せることでちょっとだけ自分も誰かの中の”あなたのおかげで”になれたらいいなと思う。
それが今のところ私の救い。

どうやって助けてほしいのか自分でもわからないんだけど
こんな時ずっと、誰か助けてって思ってる。
何が自分をこうさせたんだろうね、一体。
ほんとに、まったくもう。

私がこうやって寂しさを抱えた時、私のことを思ってくれている誰かのことも寂しがらせているんだろうなと思う。寂しがりな自分を自分で愛してあげれていないその距離と同じ長さの距離が、私と誰かの間にも生まれているんだと思う。
そんな時どうしてあげたらいいんだろうか。
こんな私で本当にごめんよ、どうか健やかでいて。


サポートでいただいたお代は血として肉として有効活用します。生きる。