白河の関
長かった・・・・
深紅の大優勝旗が白河の関を越えるまで、実に一世紀以上の年月を要しました。
昔は、雪深い東北は冬の間練習ができないから、暖かい地方の学校に勝てるわけが無いと言われていました。当時はなるほどなぁと思っていましたが、東北とはいえ太平洋側は雪が降らないので、その理由は当てはまらないようです。
そもそも東北勢が全く甲子園で手も足も出なかったかというとそんな事は無く、第一回大会で既に決勝戦を戦っています。実に107年前の事です。
そこで勝っていれば・・・・
この過去の戦績を見ると解るように、決勝戦で大差がついたのは2011年夏と2018年夏の2回だけです。それ以外はかなりの接戦で、ちょっとした展開のアヤで勝負がついたような試合が多かったのです。
特に1969年の三沢高校は、延長18回をノースコアで引き分け再試合になりましたが、延長戦で満塁のチャンスが2回もありながら得点できず、太田幸司も2日で27イニングを投げて力尽きました。
1989年には後にダイエーホークスで活躍する好投手大越を擁して決勝に臨みますが、こちらも延長10回で力尽きました。
2003年にはメジャーリーグで活躍しているダルビッシュ有、2009年には菊池雄星で決勝に臨みますが、それでも惜敗しています。
メジャーリーガー(と言ってもいいぐらいずば抜けていた)を持ってしても勝てませんでした。
その後も光星学院が春夏3大会連続で決勝戦に進出しますが、優勝旗には手が届かず、吉田輝星が一人で投げぬいた金足農業も決勝戦で力尽きました。
もう何かの呪いじゃないかというぐらい、東北勢が束になっても勝てなかった、それが甲子園なのです。
ちなみに白河の関を越える前に、田中将大投手を擁する駒大苫小牧が北海道勢として初めて優勝し、帰路の機内で「深紅の大優勝旗も皆様と共に津軽海峡を越えまもなく北海道の空域へと入ります」とアナウンスが流れて、機内は大喝采に包まれたとか。
僕も子供の頃から「あの時太田幸司が勝っていれば」「白河の関を優勝旗が越える事が悲願」とあちこちで耳にしてきました。
ひょっとしたら、生きているうちに優勝旗が白河の関を越える事は無いんじゃないか?とすら思っていましたので、今回の仙台育英の優勝は素直にうれしいです。
今年の仙台育英は5人の投手を擁していて、皆140km以上の球を投げられるという事で注目されていましたが、うち3人はまだ2年生です。是非このままの勢いで春の選抜も活躍して欲しいです。