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仙台プチ寺巡り

ゴールデンウイークに恐山でイタコの口寄せを経験し、墓参りに行けと言われました。

家内は心霊的なものは全く信じていませんが、母方の実家の墓参りはずっとしていないから、いい機会だよねと言う話になりました。
とはいえ、なかなか墓参りの為だけに出かけるのも億劫だし、何かついでの用事でもあればなぁと話していました。

そんな時息子が、部活の練習試合で対戦校まで送って欲しいと言ってきました。
何でも日曜日の朝8時半集合との事、我が家からは車で小一時間です。
試合が終わるのは11時半~12時半の間で、試合が終わり次第解散との事。
それだと、8時半に降ろして家に戻って9時半、10時半には家を出て11時半に現地に着いて試合が終わるのを待つという事になり、
家に戻っても1時間しかないのでは何もできないし、往復の移動で4時間近く費やすのも無駄だし・・・
というわけで、家に戻らずに墓参りに行こうという事になりました。

お墓があるお寺は、大体対戦校と我が家の中間地点ぐらいの場所で好都合です。
しかし、墓参りだけだとたいして時間も潰せないので、その隣にあるお寺も見て来る事にしました。
こうして急遽、プチお寺巡りをする事になったのでした。

今日回るお寺は「資福寺しふくじ」と「輪王寺りんのうじ」で、
みちのくの田舎にある割には、どちらも結構由緒あるお寺なのです。

資福寺

まずはお墓のある慈雲山資福寺から先にお参りします。

知らないと見落としそうです

このお寺、歴史好きなら耳にしたことがあるかもしれません。
伊達政宗と関係のあるお寺なのです。
大河ドラマ「独眼竜政宗」を見ていた方なら、秀治の寺と言えば分るでしょうか。

秀治と言っても、堀や波多野ではありません。大滝秀治ひでじです。
大滝秀治さん演じる虎哉宗乙こさいそういつのいた寺です。

大河ドラマの虎哉宗乙

もともと資福寺は、鎌倉時代に長井時秀が山形県高畠町に建立したものです。
長井氏はその後伊達家に滅ぼされますが、有力寺院だったため伊達家もそのまま庇護しました。
やがて政宗のお父さんである輝宗が、息子の政宗のために教育係として虎哉にオファーを出しましたが断られます。
しかし再度の要請を受けて、はるばる米沢の地へとやってきました。

ちなみに最初は臨済宗建長寺派でしたが、現在の地に移ってきた際に妙心寺派として再興されました。

虎哉宗乙は、元々美濃の国の人で、あの「心頭滅却すれば火もまた涼し」で有名な、快川紹喜かいせんじょうきに師事していました。
僅か5歳の子供の教育係に、専属の坊さんをつけるのはあまり例がありません。
輝宗が余程政宗に期待していたか、可愛がっていたかわかりませんが、少々親バカの感は否めません。

しかしこの虎哉、禅坊主だけあって僅か5歳の政宗(幼名は梵天丸)を情け容赦無くビシビシと鍛えます。
ドラマでもあったかと思いますが、政宗がお寺に通う時にきれいな花を持参しました。
綺麗なお花をどうぞと虎哉に渡します、虎哉は嬉しそうに受け取るとお礼を言って、花をむしり取ってしまいます。
それを政宗に突き付けて「若は何と言った?綺麗な花と言ったか?どこに綺麗な花がある!この嘘つきがっ!」と喝破します。
そりゃ目の前で花をむしり取った挙句に難癖をつけているわけですから、政宗も悔しくてわんわん泣きます。
もうね、鬼かと。子供相手に本気出して・・・と思いますが、輝宗の本気のオファーに本気で応えたというところでしょう。

別な時には、手を叩かせて「この音は右の手のひら、左の手のひらどちらから出ているのか」という質問をしたりもします。

ドラマを見ていた方は、政宗がなんと答えたかわかるかと思いますが、見ていない方は後で答えを書きますので、このままお読みください(ちょっと焦らしてみよう)

話が逸れましたが、資福寺は伊達家の移動に伴って、米沢から岩出山へ、そして仙台へと移ってきました。
現在の場所には1638年に移転してきたとの事です。
現在の場所にある資福寺は紫陽花寺としても有名で、もうじきたくさんの紫陽花で彩られます。本当はその時期に行けば写真も映えたのでしょうが、青葉一色のこんな時期に行ってきました。
まぁ考えようによっては、人が映り込んで写真も満足に撮れなくなるし、車も停められなくなるので、ゆっくり見て回るにはいい時期かなと。

車も通ります。すれ違うのがやっとぐらいの道幅。
ようやく石段が出てきます。生い茂っているのは紫陽花。

寺紋は北条家と同じ三ツ鱗です。

灯篭に三ツ鱗の寺紋
平等窟と書いてあります

しかし、史跡を巡る時は下調べをしておかないといけないと言いつつ、今回は墓参り程度のつもりで下調べをせずに行ってしまったので、帰ってきてからわかった事もあります。
例えばこの観音堂。

特に何も説明が無い観音堂

本堂とは別に小さな観音堂がありましたが、特に案内も無かったので手も合わせず、写真だけ撮って帰ってきました。
実は、藤原秀衡ふじわらひでひらの三男である、和泉三郎忠衡の守り本尊と言われている聖観音が祀られているそうです。
しかも仙台三十三観音の三番札所なんだとか。

あっ、そうそう虎哉から出された問題の答えですが、梵天丸はこう答えていました「目を瞑れば今も綺麗に咲いています」手を叩いた時の音の方は「孤掌鳴り難しの教え、しかと分かりました」
一人じゃ何もできないんだよという事を教える為の禅問答なんですね。
手を叩いた時の音なんて、左右の手のひらから出てるに決まってんじゃん!と即答した僕は、5歳児にも負けるという事ですね。禅嫌い。

そんなわけで次は、隣にある輪王寺へ向かいます。

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