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亀山さんの話 その1

亀山さんとはたった一度会ったきり、しかも3時間程お話をしただけの関係です。
亀山さんは当時90歳、個人で会社を経営されていて、まだ現役でした。
あれから10数年が経っているので、おそらくもうご存命ではないと思います。(数年後に会社を畳んで、京都の施設に入られたはずです)

さて、この亀山さんと僕がどうして一度だけ会って話をしたのか、どんな話をしたのか、実は僕がnoteを始めたのは、この時の会話をどこかに残しておきたかったからです。
話はまだ義父が生きていた頃に遡ります。

僕が歴史好きで、太平洋戦争は特に詳しく、よく戦記ものの本も読んでいる事を義父も知っていました。
ある日家内からこんな事を言われました。
「お父さんの取引先で亀山さんっていう人がいるんだけど、事務所に行くと昔の飛行機や軍艦のポスターみたいなのが貼ってあるんだって」
「へぇ、日本軍かな?自衛隊かな?それとも海外のかな?」それほど知りたい訳ではありませんでしたが、何となく話を合わせました。

すると一か月後「お父さんもあまり詳しくは無いけど、ヒリュウって文字が書いてあったみたいよ。ぺれぴちさんならわかるかなって言ってた」
「海軍なら空母の飛龍だし、陸軍の飛行機にも飛龍っていうのがあるよ。どっちだろうね」

さらに一か月後「今度は97式っていう字が見えたって。そして亀山さんは戦争に行ってたんだって」
「うーん、海軍なら97式艦上攻撃機だし、陸軍なら97式重爆か、97式中戦車あたりかな。一体、海軍か陸軍どっちにいたんだろうね」
「そんなに気になるなら、亀山さんに直接聞けばいいじゃない」
「いやいや、それはいいよ。突然知らない人から戦争の話を聞かせて下さいって言われたら嫌でしょ」
「だって、身の回りに戦争体験者がいないから、戦争体験の本を読んでるって言ってたじゃない」
「それは言ったけど・・・思い出したくもないって人も多いし・・・」
「だったら飛行機や船の写真は貼ってないんじゃない。お父さんに言っておくから」

と、なんとなく興味を持っている風に答えていたら、いつの間にか話が大きくなって、亀山さんの自宅兼事務所に伺う事になったのです。

亀山さんは、背中も曲がっていないし、身体つきはがっしりして、声も大きく、とても90歳には見えませんでした。僕には70台後半ぐらいにしか見えませんでした。
仕事以外で人と話す事は少ないようで、大変喜んで頂けました。
義父から予め話を通してもらっていたので、戦争体験を聴きたいという事は伝わっていましたが、体験談を他人に話したことなんかないので、何から話せばいいのかと少し困っていました。

思いついたままに話して頂いていいですよと伝えて、亀山さんが話した事をメモに取っていきました。
そのため、時系列もバラバラだし、ストーリーにはなっておらず、インタビュー形式でもない、箇条書きのメモができあがりました。
そもそも誰かに聞かせようとも考えていませんでしたし。

また、当時の人なら常識である人名や地名も説明なしに出て来るので、当時の事に詳しくない人が聞いたら一体誰?有名な場所なの?という感じで、意味が通じないと思われる所もたくさんありました。
事実、一緒に聞いていた家内は、半分以上何を話しているのかわからなかったそうです。
例えば「なんと、あの甘粕大尉の弟さんが・・・」と言われても、知らない人は???ですよね。


帰る時は名残惜しそうに、また来てくれよと見えなくなるまで手を振って頂きましたが、再会が叶わずに今に至ります。

あれから十数年が経って、一人の人が生きた証というか、名も無き兵隊さんの体験談を興味本位で聞くだけ聞いて、誰にも知られないままにしていいのかなと思い始めました。
一人でもいいから、誰かに知ってもらうようにするのが、話を聞いたものの責任のような気がして、まとめる事にしました。

とはいえ、前述したように箇条書きのメモが残っているだけなので、ストーリー仕立てにする事もできず、せいぜい時系列を整理するのと、亀山さんの記憶違いだと思われる部分を調べて、訂正する事ぐらいしかできませんが、家内がそうだったように、一般の人には言われてもわからないというところが多いので、補足をつけて行く事にしました。

面白い話でもないし、オチがあるような話でもありませんが、この記録を残すためだけに、3時間だけ僕が亀山さんと話をするように見えない力が働いたのだと思い、ここに亀山さんの戦争体験談を記したいと思います。

つづく

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