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必要は発明の母

僕が親元を離れて一人暮らしを始めたのは18歳の4月の事でした。

雪深い青森から抜け出して、雪の無い仙台へ越したわけですが、青森に住んでいるとイメージ的に仙台は南国です。なにせ雪がほとんど積もらないのです。

最初はほとんどの家財道具は持たずに、最小限の衣服と布団だけを持って行きました。

さて初日の夜の事。

日中は日も差して暖かだったのですが、日が暮れてからは冷え込みがきつくなりました。4月上旬の最低気温は5~6℃といったあたりです。
断熱効果のほとんどない木造のボロアパートなので、あまり外気と変わらないぐらいの室温だったと思います。

あまりの寒さにジャンバーまで着込んでいましたが、どうにもこうにも手が冷たく耐えられません。こんな時はお風呂で暖まろうと思いましたが、ガスが使えるのは翌日からという事で、布団に入って震えていました。

唯一実家から持ってきた小さな電気ストーブがありましたが、目の前まで近づいて、あたっているところだけが暖かく、室内を暖める事などはできない代物でした。
しかも電気代は恐ろしく食うというやつだったので、使わないようにしていました。

こんなことなら石油ストーブを持ってくれば・・・いやファンヒーターの方が・・・・後悔先に立たずです。
しかし、実家からファンヒーターを持って来てしまうと、帰省した時に部屋にいられなくなると思い、置いてくることにしていたのです。

翌日からはお風呂に入って暖まる事はできたのですが、風呂もステンレスの浴槽に水を溜めて、浴室内にある小さな罐で炊くタイプで、氷のように冷たい水を沸かすのに1時間近くかかるものでした。
しかもお風呂で暖まっても、あがって20分もすれば身体が冷えてしまいます。

そして、夜寝る時に布団に入るのがまた辛いものでした。

重たい癖にあまり暖かくない綿の布団と、薄い毛布でしたが、布団に入ると冷え切った部屋にある布団はキンキンに冷えていて、体温を一気に奪われます。

その為、布団入ってしばらくすると震えが止まらなくなり、20分ぐらい経たないと暖まらないという感じでした。

こんな生活を繰り返していたら、きっと寒さで寿命が縮んでしまうに違いない、そう本気で考えるぐらい、寒さが堪えていました。

その日もそろそろ寝ようとして、また冷たい布団に入るのか・・・嫌だなぁ。なんとかならないものか?電気ストーブを布団の中に入れたら火事になるしなぁ。この部屋に暖かくなるものなんて無い・・・あった!

ドライヤーなら温風が出ます。

そこで、枕元にコードをつないだドライヤーを置いておき、電気を消して布団に入った時に、ドライヤーを足元に向けてスイッチを入れました。

ドライヤーの吹き出し口を塞いでしまうと火事になるので、左手でドライヤーの前方の布団を持ち上げるようにして、両脚は膝を立てて空間を作ります。
そこに温風を入れて、さらに身体の両脇も隙間を作って温風を入れてドライヤーを消しました。

すると何という事でしょう。熱々の空気が逃げずに布団の中に残って、脚は汗ばむぐらいの暖かさです。あとは首元から冷たい空気が入らないようにしてじっとしていれば、炬燵の中にいるようです。
暖かい空気が冷めてくる頃には、体温で布団も暖まり、気にせず寝られます。

こうして厳しい寒さから逃れる事ができるようになったのでした。

起きた時に部屋が冷え切っていて、起きるのが億劫になり、学校もサボったりもしましたが、やがて本格的な春がきてなんとか凌ぐことができました。

必要は発明の母と言いますが、人間モノが無ければなんとか工夫するもんです。

今朝は雪が積もって寒かったので、昔の事を思い出して書いてみました。


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