見出し画像

パーシーさん(30)エッセイに挑戦

こんにちは。

なんのかんので安静無事に過ごしていますパーシーです。

ここ数か月は奇怪な文章しか書いていなかったので、今日は優しく朗らかなエッセイを記していこうと決意して千葉県からやってきました。お願いします。

そもそもエッセイとはなんですか?
ぼく思うに「日常生活に即したエピソードを独自の視点で面白おかしく書くもの」でありますが?あってますよね?

回答:ではありません。
ぼく独自の調査によると「ではない」のでした。

こいつは畜生ですね。

ではなんであろうか。
ぼく特派員はさらなる独自調査に邁進しました。

そしたらなんか…「なんでもいい」らしいです。

いってみればぼくがこの数ヶ月書いてきた唐揚げの作り方も、クイズも、映画評論の名を借りた妄言も然るべく”エッセイ”であると。

言葉が並べばオールOKなんですって。
大学のユースホステルクラブくらいなんでもありみたい。

言葉のヤリサーみたいなもんで。
最低ですね。最低うけあいです。


~パーシー魂のエッセイ~

第1回【聞き手たる】

「こないだ」から始まる話は長い。

一流の聞き手であれば話し出しの「こないだ」の時点で長話を察し、変な空気でエピソードが締めくくられる最悪のラストを想定、できるだけ自然な流れで話を結末へ導くために決死の軌道修正を試みる。

なぜなら「こないだ」から始まる話はぼくが誤認識したエッセイよろしく日常即し系エピソードに決まっており、オチなんて基本的にはない。特に女の"こないだ話"には十中八九ない。あった試しがない。

そんな覚悟なき「こないだ」とのエンカウントは、聞き手の対応ひとつで悲しい事故につながる可能性が極めて高い。悲しい事故とは「シンプルに話し手がすべる」、「聞き手の不遜な態度に話し手がキレる」、「話し手が諦めて話が途中で終わる」などが挙げられる。

ただ、覚悟を決める間すらなく繰り出されるのが"こないだ話"ともいえる。そんなとき誰しもシラ~っとした空気で相手を悲しい気持ちにさせたくはない。自分が相手の立場でも絶対にしたくない。笑顔で過ごしたい。

そんなすべりそうな話を何とかしてあげたい一心で重い腰を上げ、筆を取ったのが私であります。本日はそんな動物保護団体の広報誌みたいな思いやり精神でエッセイをお届けします。

まず前提として「聞いてほしい話=オチのある話」ではないということを忘れてはならない。個人的なエピソードなので必ずしも琴線に触れる、爆笑をかっさらう、共感が得られるというわけではない。

人間、生きていれば「なんか急にあの日のこと喋りたい!」という衝動だけで話がスタート、話し始めてから結末を探すことも間々ある。
そんなときは決まってエピソードは無駄に長引き、徐々に尻つぼみになり、低空飛行の末に胴体着陸。否応なく乗組員たちには訪れるのは無残な死である。

ただ、その「喋りたい!」というピュアな気持ちは、決して忌むべき存在ではない。むしろその気持ちのままクライマックスを迎えることができれば、この世でただひとつの楽しいエピソードへと昇華させることも可能なのだ。

では、聞き手として家族友人恋人をすべらせないために重視すべきこと。一体なんだろうか。

一番はもちろん「興味を持って聞いてあげること」。

これに尽きる。徹頭徹尾これ。これしかない。これしか勝た…

なぜなら興味があるということは欲するということであり、欲するということは深堀りしたくなるということ。

深堀り、つまりオチのない話であっても最後にあなたがひとつ「質問をする」だけでオチの部分が妙に際立つこともなく”こないだ話”を突破することができる。

質問なんてのは何でもいい。唯一質問していけない「そのあとは?」などの続きを求めるもの以外であれば全て成立する。

例えば「こないだ東京に遊びに行ったときに~」という話あればどんな内容であっても「東京よく行くの?」でOK。エピソードの途中に犬がでてきたら「その犬って何犬?」くらいの質問で全く問題はない。ちょろいもの。

質問ひとつで話し手の「喋りたい!」という気持ちは鎮まり、聞き手もちゃんと聞いていたことをアピールできるのだ。

世の論文発表や会見の最後に質疑応答があるのもそういう意味合いがある。基本的にあんなもんはずっとだらだらやってるだけ。最後の質疑応答でなんか締まる気がするのだ。

もちろん質問でなくても「感想を伝える」、「共感する」など、基本的な反応をすれば何事もなく場は流れる。つまり普通にリアクションを取れば誰しも別にすべらない。平和な時間が流れるので本来こんなエッセイを書く必要もない。

だが、学校や会社などの集団においては「オチは?」などと当たり前のように言ってくる人や、サシで話しているのに相槌すら打たずに黙っている人が一定数存在している。

そんなときは「お前みたいな奴は生涯密室でオフライン生活してろな?」ってどうしても思ってしまいますよね。……ね?

そもそも聞き手は話を享受する立場であって「聞いてあげてる」なんて傲慢な感情で担う役ではないのだ。

むしろ情報、それこそ稀有な個人情報を提供してくれていることに人情を感じて平身低頭ありがとうの気持ちが沸き上がる。それが人への愛ってものだ。愛ってものじゃあないのかい?
それこそ友達のエピソードなんて聞けたら嬉しい楽しい大好きしかない。相手をすべらせてやろうなんて邪念は生まれないはずなのだ。

それを「いじってやってる」みたいな態度でせっかくのエピソードを意図的にすべらせようとするバカ、自分が面白いと思ってる人間の話しか聞く気のないバカ、てめぇのやってることが誰よりつまらないことに気付けないバカ。マジでぼくのとこまで来い。今すぐ来い。

ぎゅうううっと首絞めてやるよ!!


今日は優しく朗らかなエッセイを記していこうと決意して千葉県からやってきました。


画像はうっすら雪道路です。

では~。


※本記事は現在付き合いのある特定の方を対象としたエピソードではありません。これを読んでいる人、ご安心ください。みんな大好きです。


いいなと思ったら応援しよう!