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広上淳一&京響 14年間の集大成

歴史的な寺社仏閣や伝統文化があふれる古都京都に西洋音楽を演奏するオーケストラがある。それが京都市交響楽団(京響)だ。1956年の創立で、京都市民の文化力向上等を目的として日本で唯一自治体が設置者となった珍しいオーケストラでもある。
そのため財源も安定していることから、これまでに世界一流のアーティストとの共演や名高い指揮者が京響のポストに就いてきた。

そんな中、2008年に第12代常任指揮者に就任したのが広上淳一氏である。ここから京響の名声が一躍飛躍することになるが、それには広上氏の音楽性から引き出されたものが相乗効果を産み、多大なる功績あってのことであるのは言うまでもない。(ご本人は謙遜されておられるが…)
そして2022年3月までの14年間に渡りポストを務め、歴代最長の在任期間となったこともその所以であろうと考えられる。

有終の美を飾った定期演奏会

2022年3月12・13日、京都北山の京都コンサートホールにて第665回定期演奏会が開催された。
広上淳一氏が"常任指揮者兼芸術顧問"として指揮する最後の定期演奏会でもある。
筆者は13日の定期2日目の演奏を聴いた。

開演前、楽団長である門川京都市長から花束贈呈とこれまでの感謝の意を述べられた。その後プレトークとして広上氏、音楽評論家の奥田佳道氏、京響の川本事業部長を交えて展開された。

プログラムは当初発表のマーラー:交響曲第3番から変更になり(京都市少年合唱団の出演が不可となったため)、尾高惇忠:女声合唱曲集、日本が世界に誇るメゾ・ソプラノ歌手の藤村実穂子さんを迎えてのマーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲、後半には広上氏が得意とするマーラー:交響曲第1番 巨人が演奏された。

1曲目は広上マエストロが音楽を学んだ師である尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」より2曲(甃のうへ、子守唄)を専属合唱団 京響コーラス(女声)とともにしっとりと作り上げた。日本語歌詞の真摯な美しさ、澄んだ歌声、現在世間にはびこる様々な重苦しさな想いを浄化してくれるような洗練された音楽が全身に沁み渡った演奏に心を打たれた。

2曲目は藤村実穂子氏を迎えてのマーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲。藤村氏はドイツ在住で今回はご自身のリサイタルと本公演を含めての来日の予定だったが、リサイタルがキャンセルになり本公演への出演が危ぶまれたものの、「広上さんと京響のために」との想いで2公演の出演だけのため来日(帰国)して下さったとのこと(広上氏のプレトークより)。
その歌声は筆舌に尽くし難いものであり、芳醇な響きがホールいっぱいに広がり、まるで天井から音の粒が降り注いでくるかのような輝きに包まれた。演奏後にはあまりの素晴らしさに客席からは万雷の拍手に湧き上がった。前半だけで元が取れたような高揚した気分になった。

休憩を挟み、後半はマーラー:交響曲第1番 巨人。
広上&京響が何度も取り上げ、マーラー演奏の原点ともなったこの曲。広上節を全開とさせつつも、オケの自発性を重んじながらの進行。マエストロのダイナミックなタクトも相まって、繊細さもあり悠然とした鮮烈なサウンドがホールに満ちた。広上さんが得意としてきたマーラーを聴いて、これまで培ってきたお互いの音作りの円熟味を体感できたことは感無量の思いとなった。そして、"関西随一"と言われる所以をも改めて実感できた瞬間でもあった。

演奏が終わると鳴り止まない万雷の拍手の波がホールを包み込んだ。その後、広上マエストロからの最後のスピーチ(言わば退任の挨拶)で万感の想いを語られた。
その他にも熱く語ってくださり、その言葉一つ一つに感動させられた。
マーラー1番の華々しいフィナーレだからこそ、悲しみのある湿っぽい別れではなく、広上マエストロと京響の両者の新たな旅立ちを感じるセレモニーでもあった。
今回実現出来なかったマーラー:交響曲第3番は、"2〜3年後に必ず実現させたい"とマエストロが直々にコメントされていたのでその時を楽しみに待ちたい。

広上マエストロ、14年間お疲れ様でした。数々の名演をありがとうございました。


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