テンポとブログの特殊相対性理論
1905年。
かの 世界的理論物理学者 アルベルト-アインシュタインは、若干26歳にして「特殊相対性理論」を提唱し、当時理解を示さない学者たちにこう述べた。
「可愛い女の子と1時間一緒にいると、1分しか経っていないように思える。しかし暑いストーブの上に1分座らせられたら、どんな1時間より長いはずだ。相対性とはそれである。」
時は経ち2020年。
みんなの最寄りの打楽器奏者 トモアキ-フタミは「ブログ」について数少ない読者たちにこう述べた。
「更新をサボっていた訳では無い。皆は6ヶ月も経ったと言うが、私にとっては筆を取ってから一瞬の出来事だった。相対性とはそれである。」
皆さま。大変長らくお待たせいたしました。
時をかける打楽器奏者フタミです。
戯言はさておき、このままのペースで行くと恐らく2020年最初で最後の更新です。
時が経つのが速いのか、僕が光速で動いてるのかは分かりませんが、こうして皆様の目に届くまでに半年かかりました。
ただこんなしょうもない冒頭部分を書くのに6ヶ月も費やしていたわけではありません。
その時々の高尚な時事ネタを書いては、更新するタイミングを逃しお蔵入りになり続けていたのです。半分嘘です。
さて、久々にお送りするこの誰得note。今回のテーマはズバリ!
『テンポ』
音楽にあまり興味がない方も言葉自体は知ってると思います。
「この打楽器奏者はテンポ感がいい!」とか、「このブログはテンポが良くて好き!」とか使いますよね。どういたしまして。
けどそもそもテンポってなーに。と思ったそこの奥さん。
簡単に説明すると「音楽の速さ」を表します。
ただ“Tempo”はイタリア語で「時間」って意味なので、実は言葉そのもの自体は速さとしての意味を持っていません。”Time”と同じです。
そう。この記事の冒頭からすでに「テンポ」の伏線は張られていたのだよ明智くん。
ちなみにイタリア語では、「天気」と「時期」のことも”Tempo”と言います。便利な言葉ですね。
なのでイタリア人に「いいテンポだね」と言われたら音楽のことなのか、時間のことなのか、はたまた天気のことなのか分からないね! しょうもないね!
真面目に説明しますと、音楽で使用するテンポと言う概念は、「拍」というものの長さを表しています。
いやいや「拍」ってなんぞや。と言うそこの殿方。
「拍」とは音楽のリズムやメロディが入る空間のことをいいます。言葉にするとなんのこっちゃね。
まずは童謡「チューリップ」を歌ってみましょう。
『さーいーたー さーいーたー チューリップーのーはーなーがー』(倒置法)
この場合1文字ずつに対して割り当てられた空間の長さが「拍」です。
そしてそれぞれの「拍」をまとめてグループ分けしたものを「拍子」と言います。ちなみにチューリップの歌は4拍子です。
はじめ舞踊のステップのためのグループ分けでしたが、どんな音楽にも欠かすことのできない要素となりました。
オーケストラなどで指揮者が振るう棒の基本動作も実はこの拍子から成っています。
【ここでプチ雑学】
今日では指揮者の役割はとても重要かつ複雑なため、専門職とされていますが、はじめ指揮者は“音楽の速さ”をいかにキープするかに重点を置かれていました。
大昔、フランス人作曲家リュリは杖を床に叩きつけてリズムをとって指揮をしてたところ、誤って自分の足を棒で突いてしまい、その傷が元で急死したという話が有名です。渾身の一撃だったんでしょうね。
「指揮者」が専門職として扱われはじめたのは、19世紀ごろ。
指揮棒を振って指揮をする今のスタイルの原型を作ったのは、かの天才作曲家メンデルスゾーンだと言われています。
当時は作曲家が自身の曲を演奏する際に指揮も担当するスタイルが多かったんですね。
さて、拍子の話に戻りましょう。
2拍子、3拍子、4拍子、5拍子。音楽の種類に応じて拍子は数多くあります。
その中でも日本の歌のほとんどは偶数系の拍子なんです。
これは日本人のルーツが農耕民族だった背景から、えんやーこらさーと農作業などに適した偶数拍の民謡が多く伝わったからと言われています。諸説あります。
そのため僕ら日本人は、昔から聞き慣れていない奇数系の拍子に弱いとも言われています。
確かにあまり認めたくないけど、子供たちにリズムを教えていて、3拍子が苦手な子が多い気がします。
理由としては“ワルツ”を代表とした奇数拍の舞踊が文化として無いのが大きいと思います。
けれども、誰もがご存知のハッピーバースデーの歌。あれ実は3拍子です。気づいてましたか?
そう。
普段、皆さん歌を歌うときに、ほとんどの方は「拍」も「拍子」も意識していないんです。でもハッピーバースデー歌えますよね。
言葉にすると一見難しく感じますが、人は拍子を自然に感じて、歌ったり演奏できたりしちゃうのです。
むかーしむかしの音楽というのは、人の心臓の鼓動の速さに合わせて作られていました。
あとは歌自体が口承されてた背景もあり、テンポと言うものはその当時あまり重要視されていませんでした。
「時計」も普及してなかったので、規則正しい時間って概念がなく、みんなのんびりしてたんだね。
それから少し経つと、作曲家は自分の曲に対して演奏者に明確な指示を出し始めました。
この曲はこのくらいの速さで、こんな感じに演奏してねー と。
ただ、みなさんも知っている正確にテンポを刻むアイテム「メトロノーム」が発明されたのは、それよりもう少し後です。
そのため当初作曲家は、音楽の速さを“言葉”で表していました。
Adagio アダージョ ゆっくりと
Andante アンダンテ 歩くような速さで
Allegro アレグロ 明るく快速に
Presto プレスト 過去ブログ参照
今でも僕ら音楽家は当時のこの言葉をそのまま速度標語として使っています。ちなみにこちらも全部イタリア語です。
【ここで再びプチ雑学】
今では「音楽の都はウィーン」と言う言葉もあるくらいですが、歴史を遡ると《西洋音楽》の起源は現在のイタリア・フランスあたりと言われています。
15〜16世期のルネサンス期における宗教音楽が今の音楽の基礎になっているからです。
そのため今日まで使われている音楽記号や速度標語はほとんどイタリア由来なのです。ジローラモもビックリだね。
その後、先ほど話したスーパーアイテム「メトロノーム」が誕生し、作曲家は速度標語に加え、テンポを数値として表記するようになりました。
数値化することで、より具体的な速度を演奏者へ指示できるようになったのです。
有名な話が、ベートーヴェンは特に自分の音楽に対してのこだわりが強かったので、メトロノームをとても重宝したそうです。
ただ作曲家自身が亡くなり、数百年以上経った今、彼らが残した数値が本当にこれで正しいのかと言う多くの論争が生まれたのも事実です。難しいね。
なぜそんな論争が起きるのか、簡単に例を出してみると。。
Andante アンダンテ 歩くような速さで
と言う先ほどの速度表記に、当時の人々はメトロノーム記譜で♩=63~76 と表しています。
お手元にメトロノームがある方は一度この中間テンポ70を出してみてください。 そしてそのテンポに合わせて歩いてみると。。。。
めーーっちゃ、ゆっくりなのがわかると思います。(時計の針より少し早いくらい)
え、何、お腹痛いの? って心配になるくらいの速さです。
参考までに僕の歩く速さを測ってみたらテンポ100でした。
足短いからね。やかましいわ!
このように現代人が早く歩き過ぎ!って言うのもあると思いますが、当時の速度記号をどう解釈するかは、全て現在の音楽家たちに委ねられております。
時を超え、何千、何万と演奏されたであろうベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でさえ、これが正解!と言えるテンポは未だ存在しないのです。
ようやくまとめに入りますが、
「テンポ」の概念は時代と共に移り変わり、昔を生きた人、今を生きる人、その一人一人にとって感じる差があって当然のものだと思うのです。相対性ですね。
時計が正確な時を刻むようになり、音楽も徐々にその影響を受けました。
かつてのゆったりとした時代の音楽に比べ、現代の音楽は、速く、刻みの細かいものになっています。
それでも、「Tempo」を単純な速度としてではなく、人間の内側にある、感覚に基づいた「Time」をどう表現するかという意識を持つことが大事なのだと思います。
普段忙しい日常を送っている我々も、たまにはテンポ70で歩いてみるのも良いかもしれません。
そうして、当時のゆったりとした時の流れ、文化を感じ、次の投稿を気長に待っててください。
僕と同じテンポ感で生きてたら案外それはすぐかもしれません。
そう。相対性とはそれであr(言いたいだけ)
それでは皆様、また次のnoteで。
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